長崎外の幕末・明治期古写真考 モース百年前の日本 158 大和型の荷船 大阪
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
モース・コレクション/写真集 百年前の日本
115頁 158 大和型の荷船 ca.1890 大阪
〔画像解説〕
写真から見ると、船尾の帆装を一部はずしているのではないかと思われる。もし写真どおりの帆装ならば明治20年以前ということになる。ただ、これらの船は川筋である期間停泊するため、帆装の一部をはずしている可能性もある。それならば明治30年代ということになる。手前3隻はやや大型で500石を越えていると思われる。
目録番号:1202 和船(2)
〔画像解説〕
港に停泊している5艘の和船であるが、皆同型のようである。整理番号6-27「和船(1)」は帆を上げているが、同じ型である。これらの船は江戸中期から明治半ばまで活躍した北前船である。
■ 確認結果
モース・コレクション/写真集「百年前の日本」小学館発行1988年初版第9刷の115頁にある「158 大和型の荷船」は、撮影場所を「大阪」と説明している。
データベースの目録番号:1202「和船(12)」とも、これは東京の佃島前の風景である。
石黒敬章編「明治・大正・昭和 東京写真大集成」新潮社2001年刊の261頁に、次のとおり解説している。
【大川に停泊中の荷船】Ⅱ12−10
同じ写真を大阪としている写真集があり惑わされたが、これは東京である。Ⅱ12−06と背景の家並みが同じであるし、帆柱の間に住吉神社の屋根も垣間見えるから、バックは佃島である。
一見したところ石川島灯台がないように思えるが、手前の弁財船の船尾の上部に、チラリと小さく見える屋根が灯台らしい。随分低い灯台だった。Ⅱ12−07の右に見える白い倉庫が、灯台より少し右手にあるから位置関係は合っている。〔Y〕
この項は、本ブログ次を参照。 https://misakimichi.com/archives/2663