長崎の古写真考 写真の開祖上野彦馬 118P 高島礦業所二子坑立坑 ほか

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 長崎の幕末・明治期古写真考 写真の開祖上野彦馬 118P 高島礦業所二子坑立坑 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

産業能率短期大学出版部「写真の開祖 上野彦馬」 118〜121P

208 — 高島礦業所二子坑立坑、現在の三菱高島礦業所 明治初年撮影。
209 — 高島礦業所二子坑、石炭積込み桟橋、船は石炭積取り船、手前は坑内で使用する坑木 明治初年撮影。
210 — 高島二子坑、石炭積込み桟橋、右前方は沖之島 明治初年撮影。(掲載略)

目録番号:2415 高島炭鉱南洋井坑

目録番号:3232 高島炭鉱石炭船積場

■ 確認結果

長崎県立図書館に郷土資料として、「写真の開祖 上野彦馬」があった。産業能率短期大学出版部が昭和50年発行。上野一郎氏も監修。上野彦馬研究の第一級機関である。
古い写真集で、今ごろ取り上げるのはどうかと思うが、解説の疑問を数点、説明する。ほかの写真集が、この間違いをいつまでも引きずり出版されている。
地元長崎として困っているので、写真所蔵先日本大学芸術学部とも、早く本元において研究をお願いしたい。

この項は、本ブログ次を参照。
https://misakimichi.com/archives/3480
https://misakimichi.com/archives/2763
https://misakimichi.com/archives/1619

208「高島礦業所二子坑立坑」は、「南洋井坑」ではないか。
209「高島礦業所二子坑、石炭積込み桟橋」は、「尾浜坑の石炭積込み桟橋」ではないか。
210「高島二子坑、石炭積込み桟橋、右前方は沖之島」は、「北渓井坑」の石炭積込み桟橋「南風泊港」ではないか。したがって右前方は「飛島」、左後方が「沖之島」である。