長崎の古写真考 マンスフェルト集 33P 茂木の海岸に沿って

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長崎の幕末・明治期古写真考 マンスフェルト集 33P 茂木の海岸に沿って

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

長崎大学コレクション外編Ⅰ「マンスフェルトが見た長崎・熊本」

第三章 茂木  33P  茂木の海岸に沿って
茂木の旧庄屋屋敷あたりから撮影された茂木海岸と茂木村本郷の家並み。マンスフェルトは茂木旅行に大型カメラを持参し、これを撮影したようである。写真は埋め立て前の片町付近で、左奥の寺は玉台寺。僧寶譽の創建で、島原の領主松倉氏の代に第3世義山和尚が再建した。
018 1872年頃 マンスフェルトか サイズ/207mm×156mm 大

■ 確認結果

長崎大学附属図書館企画・編集の長崎大学コレクション外編Ⅰ「マンスフェルトが見た長崎・熊本 古写真で見る近代医学校の成立」が、長崎文献社から2012年10月発行された。
33P「茂木の海岸に沿って」は、解説では「写真は埋め立て前の片町付近」としているが、「片町」は若菜川の右岸一帯のため、場所が違う。

長崎市役所茂木支所に展示している「茂木港今昔」の次の地図と説明どおり、大正時代に埋め立てられたのは、「橋口、中、寺下」の海岸である。
「若菜橋」も、橋口側の位置が、現在の橋とは異なっている。
この項は、本ブログ次も参照。 https://misakimichi.com/archives/2147

茂木港今昔
この地図は、大正時代の埋め立て前と現在の海岸線を比較したものです。現在のフェリー乗り場や新田の汐見崎観音寺付近は岩場で、橋口、中、寺下の海岸は砂浜でした。
若菜橋も橋口側の位置が異なっています。

33P「茂木の海岸に沿って」の撮影場所は、「旧庄屋屋敷あたりから」。現在は弁天橋があるSマート茂木店前あたりからであろう。左奥の寺も、「玉台寺」に間違いない。大イチョウがすでに撮影されている。