長崎の古写真考 彦馬の世界 153P 飽の浦恵美須神社

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長崎の幕末・明治期古写真考 彦馬の世界 153P 飽の浦恵美須神社

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

上野彦馬の世界 153P 飽の浦恵美須神社 (長崎大学附属図書館蔵)
明治10年(1877)頃撮影。鶏卵紙。対岸側は出島で、これと同じアングルで明治5年(1872)に内田九一が撮影している。写真の左側に飽の浦町の集落、対岸は長崎市街中心部の海岸線である。左側の山は金比羅山・立山である。現在は海岸線は埋め立てられ、写真でのみ当時をうかがうことができる。

目録番号: 5312 飽の浦恵美須神社(6)
〔画像解説〕
明治10年(1876 「1877」が正)頃、長崎の稲佐にあった飽の浦神社(恵美須神社)を撮影したもので、同じアングルで明治5年(1872)天皇巡幸に随行した内田九一が撮影しているが、比べてみるとこの写真では神社横の民家の屋根が壊れている。社屋は消滅しているが神社は現存している。

■ 確認結果

上野彦馬の古写真集「レンズが撮らえた 幕末の写真師 上野彦馬の世界」が、山川出版社から2012年8月発行されている。
153P「飽の浦恵美須神社」は、内田九一の作品とされる解説を参考に記している。両作品ともこのカメラの方向では、出島や梅香崎までは写らないので、「対岸側は出島」とはならない。
風頭山すらまだ写真の右外だから、対岸は大黒町・五島町・大波止あたりまでであろう。

飽の浦恵美須神社の左右が「飽の浦町」の集落。主な集落は右側。左は当時「瀬の脇」といった。左奥に水の浦、そして大鳥崎、稲佐崎があった。
長崎大学データベースでは、目録番号: 5312「飽の浦恵美須神社(6)」の作品。
この項は、本ブログ次を参照。 https://misakimichi.com/archives/2833
丸尾海岸の埋め立て状況と年代、内田九一とされる天皇巡幸の際の作品撮影者は、まだ研究の必要があり、東京の先生など現在、調査中。