長崎の幕末・明治期古写真考 彦馬の世界 141P 中島川と桃渓橋
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
上野彦馬の世界 141P 中島川と桃渓橋 (長崎大学附属図書館蔵)
明治中期撮影。鶏卵紙。
長崎市を流れる中島川(二股川)の左右からの川の合流点、桃渓橋付近の風景を撮影したものである。写真左奥から三つ山、健山(たてやま)、烽火山が見える。また、その山の下の茂った樹木のあたりが伊勢宮神社の楠である。写真左手前より白壁の蔵、唐船海上祈願灯、松の木、不動明王堂、桃渓橋と続き148ページの写真を引いた撮影である。
目録番号:5305 中島川と桃渓橋(2)
〔画像解説〕
二股川(中島川)桃渓橋付近の風景である。現在は一般に中島川と呼ばれている。写真の右側樹木手前のところが日見峠方面からの川、銭屋川(中島川)との合流地点である。桃渓橋は堂門川に延宝7年(1679)永島仁左衛門こと僧ト意が出来大工町に架けた長さ12.4m、幅3.4mのアーチ石橋である。大井手橋の上から中島川二股を撮影したものである。写真中央の奥には健山(たてやま),その左側奥に三つ山,右側に烽火山への稜線が見える。また、右側人家後ろの樹木は、伊勢宮神社の楠の大木である。堂門川(中島川)と銭屋川(中島川)の合流点角の岸には川へ下りる階段が設けられている。目録番号2130及び4804(整理番号47-33及び95-3)より古い写真である。写真左側には、手前から白壁の蔵,唐船海上安全祈願灯,松の大木,不動明王堂等が見え、江戸時代の名残を止めている。
■ 確認結果
上野彦馬の古写真集「レンズが撮らえた 幕末の写真師 上野彦馬の世界」が、山川出版社から2012年8月発行されている。
141P「中島川と桃渓橋」は、撮影場所の説明を具体的に、「…148ページの写真を引いた下流「大井手橋」上からの撮影である。」とかならないだろうか。
背景の山は、右に「烽火山」の山頂までは写っていない。
長崎大学データベースでは、目録番号:5305「中島川と桃渓橋(2)」の作品。
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