長崎外の古写真考 目録番号: 2959 鈴川からの富士山

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 2959 鈴川からの富士山

「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 2959 鈴川からの富士山
〔画像解説〕
富士市鈴川(すずかわ)の砂丘上にある地蔵堂から北方の富士山を遠望したもの。境内には地蔵が並び、茅葺きのお堂の一部が見える。お堂の前には4人は、作業内容が不自然で明らかにモデルである。隙間からは東海道線の線路とその先に河合橋(かわいばし)が見える。線路が存在するため、明治22年以降の撮影である。

■ 確認結果

目録番号: 2959「鈴川からの富士山」は、画像解説どおり「富士市鈴川(すずかわ)の砂丘上にある地蔵堂から北方の富士山を遠望したもの」だろう。
富士市HPの富士市立博物館収蔵品紹介[富士山古写真]の中に、同じ写真が掲載され、同解説は次のとおり。  http://museum.city.fuji.shizuoka.jp/index.php?id=16

鈴川からの富士・富士川からの富士山遠望
鈴川からの富士 明治20年代のもの。鈴川は、現在の静岡県富士市南部の海岸沿いの集落です。現在も同地に祀られる地蔵堂の境内とみられ、六地蔵は今ものこっています。
富士川からの富士山遠望 江戸幕府の政策により、富士川には橋が架けられず、船で人々や荷物を渡していましたが、明治に入って宿場の制度などが解体し、渡船も廃されて橋が架けられました。

この項は、目録番号:4099「東海道と富士山」の本ブログ記事も参照。
https://misakimichi.com/archives/2686