長崎の古写真考 目録番号:6069 風頭からの長崎市街鳥瞰(立山側)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6069 風頭からの長崎市街鳥瞰(立山側)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:6069 風頭からの長崎市街鳥瞰(立山側)

■ 確認結果

長崎市史編さん委員会編「新長崎市史 第二編 近世編」が、平成24年3月30日発行された。
170〜171頁に掲載されている「写2−32 「風頭からの長崎市街鳥瞰(立山側)」上野彦馬/長崎大学附属図書館所蔵」は、データベースでは、目録番号:6069 の作品である。
新長崎市史の解説は、次頁の172頁にある。

長崎大学附属図書館企画・編集「長崎大学コレクション 明治7年の古写真集 長崎・熊本・鹿児島」長崎文献社刊2007年初版の58,59頁に掲載されたこの古写真の解説の疑問点は、すでに次の記事により2010年1月指摘している。
https://misakimichi.com/archives/2171

新長崎市史の解説は、本ブログ記事も参照されたか、「延命寺の山門」の撮影とされ、了とするが、遠景の寺を「⑱が聖福寺、⑲が福済寺」と説明されているのは疑問がある。
航空写真で位置関係を見てみる。「⑱が福済寺、⑲が本蓮寺」ではないだろうか。
「聖福寺」は、「⑰永昌寺」のすぐ近くであり、⑱を「福済寺」とするなら、その中間に大きな甍が見えるところと思われる。
延命寺上からの現在の写真は5枚目のとおり。高いビルなどで、聖福寺などは見えなくなった。

最後の古写真は、越中哲也・白石和男氏共編「写真集 明治・大正・昭和 長崎」図書刊行会昭和58年再版12〜13頁に掲載されている「19 長崎の街なみ」。
長崎に市制が実施された明治22年当時の長崎の町の全景。上野彦馬の撮影という。
風頭山頂からの撮影と思われるが、同じような構図であり、鮮明であるので参考となろう。所蔵は長崎市市立博物館のようだ。4枚組だが、左右は省略した。
「’89長崎市制施行100周年 NAGASAKI 100」24〜25頁にも同じ写真がある。

なお、新長崎市史182頁「写2−44 新大工町の鳥瞰」A.Fボードイン/長崎大学附属図書館所蔵」の解説は、「⑩が金比羅山」ではなく「烏帽子山(金星観測があった)」、「⑪が上宮」ではなく「金比羅山」と説明した方が正しいだろう。
https://misakimichi.com/archives/2193
https://misakimichi.com/archives/2389

また、179頁「図2−14 測図長崎市街地図 1884(明治7)年頃(部分)(「地図で見る長崎の変遷」財団法人日本地図センターより作成)」は、「1884(明治17)年頃」の誤字である。
図中の「⑦が淵神社」は、まだ下の岬の方に表示した方が良い。