長崎の古写真考 目録番号:6275 新大工町の鳥瞰 ほか (再掲)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6275 新大工町の鳥瞰 ほか (再掲)

朝日新聞長崎地域版2010年7月3日付”長崎今昔 長大コレクション”に掲載された「亀山社中付近から見た街 龍馬も訪れた撮影局」。
「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」の次の作品である。

目録番号:6275 新大工町の鳥瞰

目録番号:6277 春徳寺遠望

■ 確認結果

朝日新聞の記事は、見出しを「亀山社中付近から見た街」とし、撮影場所を「亀山社中があった伊良林の高台から、若宮稲荷神社の鳥居越しに撮影されている」と解説している。あまり間違いないが、実際の撮影場所はどこだろうか。
亀山社中付近は、西側を向いている。若宮稲荷神社の参道鳥居や上野撮影局、中川方面がまったく見えないから、見出しとするのは、適切でないと思われる。

では、伊良林のどのあたりの高台から撮影された写真だろうか。
この項は次の記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/2193
私の推定では、地図の黄色●地点である。亀山社中と若宮神社の中間あたり。高さは少し下がる。現在の写真は、光源寺墓地内、高台の「大春家」墓門の場所から写したから、春徳寺の大屋根の向きが古写真と比べ少し変わった。

資料にしたとおり、朝日新聞社刊「写真集 甦る幕末」の再評価において、慶應義塾大学高橋信一教授は「上野彦馬邸の前の中島川の川向こう、伊良林の丘の上の若宮神社から新大工町、片淵方面を望んだ写真である」と解説している。
もちろん近くの場所になるが、写真に写された街の向きから「亀山社中付近から見た」とするより、「若宮神社付近から見た」とする方が、妥当な解説ではないだろうか。