長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6275 新大工町の鳥瞰 ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:6275 新大工町の鳥瞰
目録番号:6277 春徳寺遠望
■ 確認結果
古写真データベースで撮影者「A.F.ボードイン」から探すと、この作品が出てくる。目録番号:
6275が新大工町、目録番号:6277が春徳寺を写している。下部にそれぞれ鳥居の列が写り、伊良林1丁目の竹ん芸で有名な「若宮神社」参道横から撮影されている。間の目録番号:6276はタイトル「長崎郊外(1)」。別景色の作品。
前記の2作品は、横に並べるとパノラマ組写真のようになる。同じ場所から写真機の向きを変えて撮影されたと考えてよい。背景の左は金比羅山、中央右奥にかすかに帆場岳(三つ山)、右は健山。撮影場所と思われる所は宅地となっている。
現在の写真は、近くの光源寺墓地内、高台の「大春家」墓門の場所から写したから、春徳寺の大屋根の向きが古写真と比べ少し変わった。後ろの写真は、若宮神社と小さな坂本龍馬之像。
なお、目録番号:6275「新大工町の鳥瞰」については、慶應義塾大学高橋信一教授の次の記事がある。
2008年12月 1日 (月) 朝日新聞社刊「写真集 甦る幕末」の再評価
122 長崎・伊良林からの展望
この写真はB3アルバムにあるものだが、撮影時期、撮影者が不明である。上野彦馬邸の前の中島川の川向こう、伊良林の丘の上の若宮神社から新大工町、片淵方面を望んだ写真である。手前左に彦馬邸、正面に高木邸とその倉庫の建物が写っている。上野彦馬邸の東南の角の家屋は建て直される前のもの。写真No.130の写真と比べると、屋根の形が旧いものとなっている。しかし、塀沿いの西側の建物は撤去されているので、慶応年間の後半であろう。塀の様子が判然としないので、白壁の塀の築造との関係は読み取れない。今後の課題である。明治以降に使われた広い写場についての考察は拙著「書評 馬場章編『上野彦馬歴史写真集成』」(「民衆史研究」第74号、2007年12月号)(119)を参照されたい。