長崎名勝図絵の風景  34  唐船の千燈籠

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長崎名勝図絵の風景  34  唐船の千燈籠

「長崎名勝図絵」は、長崎奉行筒井和泉守政憲の命を承け、当時長崎聖堂助教で儒者であった、西疇 饒田喩義強明が、野口文龍渕蔵の協力を得て編述し、これに画家の竹雲 打橋喜驚惟敬の精緻な挿絵を加え、完成したもので、執筆は文化、文政年間(1804−1829)であったと思われる。平易に読める文体に書き改めた詳訳が、丹羽漢吉先生の訳著によって、長崎文献社から長崎文献叢書第一集・第三巻「長崎名勝図絵」として、昭和49年(1972)2月発行されている。(発刊序から)

本ブログ「長崎名勝図絵の風景」は、主な図絵について現今の写真と対比させる試み。デフォルメされた図絵が多く、現在ではそのとおりの風景はほとんど写せない。おおかたがわかる程度の写真として撮影している。解説は詳しく引用できないので、図書を参照していただきたい。

名勝図絵の右下に描かれているのは、新地蔵所の広馬場側となる南門の石橋である。現在の大徳寺公園から見た、長崎港内に浮ぶ唐船の千燈籠の風景であろう。
この項は本ブログ次を参照。  https://misakimichi.com/archives/3154
南門の石橋は、新版「写真集 甦る幕末 ライデン大学写真コレクションより」朝日新聞社1987年発行110頁の拡大。

長崎名勝図絵 巻之三   西邊之部

218  唐船の千燈籠  (文献叢書 196〜199頁  所在地 長崎市新地町ほか)

長崎の湊の美観の一つである。浮船があれば、これをする。唐船が入港して、荷揚げを終れば、空船となり、梅香崎に引いて行って、繋いで置く。入港してまがなく、荷揚げが終らないか、或いは交易が終って、代り荷を積み、梅香崎を離れて、港中で出航指令を待っている船。これを浮船という。その日は三月七月九月の廿三日を当日とし、廿二日から始める。これは天后祭の日でもある。故に唐三箇寺ではこの日、臨番で焔口供 … をする。船中には、三つの帆柱に掛渡した帆綱に、無数の燈籠をすき間なく吊るし、点灯するので、昼のように明るくなり、海面に燈影を映じて、誠に美しい景観である。