長崎名勝図絵の風景 18 唐館(唐人屋敷)
「長崎名勝図絵」は、長崎奉行筒井和泉守政憲の命を承け、当時長崎聖堂助教で儒者であった、西疇 饒田喩義強明が、野口文龍渕蔵の協力を得て編述し、これに画家の竹雲 打橋喜驚惟敬の精緻な挿絵を加え、完成したもので、執筆は文化、文政年間(1804−1829)であったと思われる。平易に読める文体に書き改めた詳訳が、丹羽漢吉先生の訳著によって、長崎文献社から長崎文献叢書第一集・第三巻「長崎名勝図絵」として、昭和49年(1972)2月発行されている。(発刊序から)
本ブログ「長崎名勝図絵の風景」は、主な図絵について現今の写真と対比させる試み。デフォルメされた図絵が多く、現在ではそのとおりの風景はほとんど写せない。おおかたがわかる程度の写真として撮影している。解説は詳しく引用できないので、図書を参照していただきたい。
唐人屋敷跡は、本ブログ次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1501
唐人屋敷跡の古写真風景は、 https://misakimichi.com/archives/1606
2枚目の唐人屋敷復元模型は、長崎歴史文化博物館の展示作品。
長崎名勝図絵 巻之二下 南邊之部
143 唐 館 (文献叢書 95〜105頁 所在地 長崎市館内町)
大徳寺の左、狐嶺と梅が崎の間にある。昔は十禅寺 俗に十善寺と書く の跡で、…のちに薬園が置かれ、代官末次平蔵が薬草各種を栽培し、用に備えた。それを元禄元年(1688)に唐人屋敷とされた。そもそも唐土船が日本に来たのは、大変古いことで、元の世祖が…元禄元年(1688)…十善寺村御薬園所を開らいて、唐館を造営すべき事が決まり、その年の9月25日に着工、翌年4月15日に竣成した。そして長崎在留の唐人全部を、この館内に入れられた。…造営の費用は銀634貫440目であったという。館内の広さ9363坪8合。内に長屋数十棟があり、一つの街のようである。地勢に従って高さ7尺余の牆壁をめぐらし、また広さ6尺余の壕がある。…