長崎名勝図絵の風景  6  祗 園 社

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長崎名勝図絵の風景  6  祗 園 社

「長崎名勝図絵」は、長崎奉行筒井和泉守政憲の命を承け、当時長崎聖堂助教で儒者であった、西疇 饒田喩義強明が、野口文龍渕蔵の協力を得て編述し、これに画家の竹雲 打橋喜驚惟敬の精緻な挿絵を加え、完成したもので、執筆は文化、文政年間(1804−1829)であったと思われる。平易に読める文体に書き改めた詳訳が、丹羽漢吉先生の訳著によって、長崎文献社から長崎文献叢書第一集・第三巻「長崎名勝図絵」として、昭和49年(1972)2月発行されている。(発刊序から)

本ブログ「長崎名勝図絵の風景」は、主な図絵について現今の写真と対比させる試み。デフォルメされた図絵が多く、現在ではそのとおりの風景はほとんど写せない。おおかたがわかる程度の写真として撮影している。解説は詳しく引用できないので、図書を参照していただきたい。
祗園社(八坂神社)は次も参照。  https://misakimichi.com/archives/1675

長崎名勝図絵 巻之二上   南邊之部

93 祗 園 社  (文献叢書 60〜62頁  所在地 長崎市鍛冶屋町) 

崇福寺と清水寺の間にある。宝樹山現応寺延寿院と号す。天台宗。東叡山の末寺。境内
1,394坪余。牛頭天王を祀る。京都の感神院になぞらえて、祗園と名づける。神は素戔鳴尊(すさのをのみこと)で…八幡と山王の二神を一つ社殿に併祀する。寛永9年(1632)大養坊 高覚院ともいう 盛有が草創勧請した。…又崖の下に、きれいな泉が涌いており、祗園泉と呼んでいる。冷くて味がよく、茶を煮るのに適している。長崎の名水の一つである。