長崎名勝図絵の風景  5  崇 福 寺

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長崎名勝図絵の風景  5  崇 福 寺

「長崎名勝図絵」は、長崎奉行筒井和泉守政憲の命を承け、当時長崎聖堂助教で儒者であった、西疇 饒田喩義強明が、野口文龍渕蔵の協力を得て編述し、これに画家の竹雲 打橋喜驚惟敬の精緻な挿絵を加え、完成したもので、執筆は文化、文政年間(1804−1829)であったと思われる。平易に読める文体に書き改めた詳訳が、丹羽漢吉先生の訳著によって、長崎文献社から長崎文献叢書第一集・第三巻「長崎名勝図絵」として、昭和49年(1972)2月発行されている。(発刊序から)

本ブログ「長崎名勝図絵の風景」は、主な図絵について現今の写真と対比させる試み。デフォルメされた図絵が多く、現在ではそのとおりの風景はほとんど写せない。おおかたがわかる程度の写真として撮影している。解説は詳しく引用できないので、図書を参照していただきたい。
崇福寺は次の記事も参照。  https://misakimichi.com/archives/1680

長崎名勝図絵 巻之二上   南邊之部

91 聖壽山崇福寺  (文献叢書 48〜60頁  所在地 長崎市鍛冶屋町) 

大光寺の左にある。臨済宗黄檗派の禅寺。唐僧超然の開基。境内7,866坪。…明暦元年
(1655)黄檗国師隠元 名は隆琦、福州福清県の人。承応3年(1654)懇請されて長崎に渡来、興福寺の中興開祖となる。明暦元年(1655)8月9日妙心寺住持竜渓禅師の懇請により京都に行き、遂に勅を承けて山城国宇治黄檗山の開山開祖となる が、わが国に黄檗を開いた。…