長崎の古写真考 ながさき浪漫 84頁 新旧市街をつないだ新大橋

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長崎の幕末・明治期古写真考 ながさき浪漫 84頁 新旧市街をつないだ新大橋

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

アルバム長崎百年 ながさき浪漫
84頁  新旧市街をつないだ新大橋
〔画像解説〕
明治時代の長崎港は埋め立てと浚渫(しゅんせつ)の歴史でした。新しい橋が生まれては、埋め立てで、その役割を終えていきました。
明治2年に架けられ同22年解体の新大橋(築町〜新地町の間)

■ 確認結果

長崎文献社「アルバム長崎百年 ながさき浪漫 写真でしのぶ明治・大正・昭和」平成11年発行の84頁に掲載されている「新旧市街をつないだ新大橋」。長崎文献社所蔵写真と思われる。長崎大学の古写真データベースでは見当たらない。
説明文は「ながさき浪漫会」。上記の画像解説に別に問題はない。

ただ、「新大橋」の上流、写真右側にアーチ式石橋が写っている。新地蔵所の「正門橋」である。貴重な写真のため、石橋の説明もほしかった。現在の新地中華街入口「新地橋」の場所に架かっていた。撮影は大徳寺跡の高台からだろう。上野彦馬作品の拡大ではない。
次を記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/2173