長崎の古写真考 目録番号:1196 飽の浦からの長崎港(3) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1196 飽の浦からの長崎港(3) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

朝日新聞のきょう2010年(平成22年)1月21日付長崎地域版「長崎今昔 長大写真コレクション」に載った”長崎港のパノラマ 優美さ まるで浮世絵”(クリック拡大)。
解説文には別に問題ないようだが、パノラマとした3枚の古写真の左側、飽の浦恵美須神社を写した部分は、別の作品があるのに連結を明らかに間違っている。
この項は次の記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/1589

証拠となる連結写真をお見せしよう。データベース上で撮影者は上野彦馬など記されているが、ほとんどは明治天皇巡幸に随行した写真家内田九一の作品とされる。
右の1枚目は、目録番号:1196「飽の浦からの長崎港(3)」、中央の2枚目は、目録番号:1208「飽の浦からの長崎港(4)」、問題の左の3枚目は、目録番号: 51「飽の浦恵美須神社(1)」ではなく、神殿まで写った目録番号:1694「飽の浦恵美須神社(3)」、または同じような写真の目録番号:2875「同(4)」となるのが正しい。

同作品の以前のタイトルは「長崎稲佐海岸(2)」。現在は変更されて「飽の浦恵美須神社(3)」となった。神社関連作品に(3)が出てこないのが間違いの原因だろうが、まったく同じようなな作品が目録番号:546「同(2)」、目録番号:2875「同(4)」でもある。
今回見直すと、私も引用を間違っていたが、上野彦馬アルバムにあり色調から、目録番号:2875「同(4)」(前から公開されていたのか?)の方がふさわしいように思われる。

この連結写真は、三菱重工(株)長崎造船所史料館(飽の浦町三菱構内)に展示されている。
神社境内の右下建物の屋根、海岸線及び対岸の彦山の稜線がこの組み合わせで合い、港内の巡幸の様子を伝えている。長崎大学側はなぜまたこんな調査不足の公表をするのだろう。
朝日新聞シリーズ「長崎今昔 長大写真コレクション」も解説に問題が多い。

(1月23日 追記)
今朝「飽の浦恵美須神社」で条件検索すると、(1)〜(8)の8作品が出てくる。以前はこのようなことはなかった。特に目録番号:5312「同(6)」、目録番号:5648「同(7)」、目録番号:6132「同(8)」は、昨年6月以降に追加公開された作品と思われ、私の覚えがない。
(1)〜(8)を個別に開き、関連作品を見てみると、(1)(2)(4)(5)(6)が1グループ、(3)(7)で1グループ、(8)のみは単独、関連作品がないようになっている。
関連写真の出方はデータベース全体におかしい。見るのに支障があり、早く是正してほしい。

(2014年8月21日 追記)
最後のパノラマ写真2枚は、飽の浦恵美須神社に隣接する菱重ビル屋上から撮影した。