長崎の古写真考 目録番号:6066 小島からの長崎医学校と唐人屋敷

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6066 小島からの長崎医学校と唐人屋敷

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

同古写真の主なものが長崎大学附属図書館企画・編集「長崎大学コレクション 明治7年の古写真集 長崎・熊本・鹿児島」長崎文献社刊2007年初版となって出版されている。
掲載されているのは、明治7年(1874)撮影の上野撮影局・冨重写真所合同アルバムから、昨年6月以降データベースに追加して公開された写真が多い。
この写真集の解説の疑問点は、先に数点を記事とした。一部の作品は再掲となるが、次に後日、実地再確認を必要とした3作品について、現地調査の結果を順に報告する。その3。

目録番号:6066 小島からの長崎医学校と唐人屋敷
〔写真集 51頁 40 小島からの長崎医学校と唐人屋敷 275×214 の作品。写真説明は次のとおり〕
小島から長崎医学校と唐人屋敷ごしに長崎港を遠望している。海側中央の建物が長崎医学校。文久元年(1861)に小島養生所として創設され、医学所を併設して慶応元年(1865)に精得館と改称。明治元年(1868)長崎府医学校と改称。その後明治5年(1872)に第六大学区医学校と変更し、明治7年(1874)には長崎医学校となり、明治24年(1891)浦上に移転した。

■ 確認結果

目録番号:6066「小島からの長崎医学校と唐人屋敷」は、上野彦馬の撮影とされる作品。今回、初めて見た古写真である。撮影場所が「小島から」とあるが、具体的でない。
長崎医学校の下に唐人屋敷があるが、ほとんど写っていない。中央に覗く橋が新地と梅香崎を結んだ梅香崎橋である。長崎医学校の手前の山腹を右から左へ登る道が、現在の思案橋から丸山公園を通り大浦中学校へ上がる市道の旧道となる。この道路の対面の山手から撮影している。

したがって撮影場所は、現在の鶴鳴学園長崎女子高校正門から入った駐車場の少し下、中小島2丁目の高台あたりから撮影していると思われる。中央右側の尾根上にあるのが、当時の長崎医学校で、現在は長崎市立佐古小学校が建っている。左へ尾根を上がって大木が写る丘の所が、現在の長崎市立仁田小学校となっている。
梅香崎橋のあった場所は、現在の写真のちょうど中央に写るダイエー長崎店の左方となろう。