長崎の古写真考 目録番号:2877 長崎福田海岸の洞窟(1) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:2877 長崎福田海岸の洞窟(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:2877 長崎福田海岸の洞窟(1)
〔画像解説〕
明治中期。長崎市の福田海岸にあった洞窟。当時は観光にも使われていたようで、観光客らしい人物が洞窟を遠望し、洞窟には洞内の見学船と思われる小船が接近している。

目録番号:5629 長崎福田海岸の洞窟(2)

■ 確認結果

解説に「明治中期。長崎市の福田海岸にあった洞窟。当時は観光にも使われていたよう」とある。2枚は同じ写真。(2)も鮮明なため掲げた。何も問題はない古写真であるが、福田崎の海岸洞窟を確認しておきたかった。3回訪ねてやっと辿り着いた。
前回、途中の海岸岩場で見つけた「長崎要塞第二地帯標」は、次の記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/1905

福田「ゴルフ場入口」バス停から100mほど戻り、右下へ行く釣り道の山道に入り、10分谷間を下ると海岸へ出る。これからが大変である。丸石の浜や危険な岩場をロープなどで3回越し、海岸伝いにさらに50分歩いてやっと着く。往復3時間は要する。大潮の時しか出かけられず、危険極まりない。釣り場には式見から瀬渡し船が出る。

古写真で言うと、洞窟の左側海岸を歩いて行ったので、洞窟の横からしか眺められず、中まで全体を見ることができなかった。人が座っている岩は離れ瀬。古写真は手前に岩が写るとおり、船上から撮影されたものではない。沖の島は伊王島や式見の神楽島。崖上は昔、採石場だった。

なお、洞窟とは関係ないが、この辺りの海を舞台に、高橋治氏の小説「秘伝」(直木賞受賞)講談社昭和59年2月刊がある。式見と茂木に住む2人の名人釣り師が怪魚に挑む!物語。24〜25頁は次のとおり。

…岸浪が再びエンジンをしぼったのは、出て来た式見の港を左に見て、更に三十分ほど南に下った地点だった。入江の様が複雑になり、切り立った崖が海に落ちこんでいる。その崖が近々と見える。
永淵はこの辺の海を知らない。だが、長年の経験で、陸の形と海水の色を見れば、大体、海底の見当はつく。恐らく断崖の底は二段か三段に落ちこんで、その先がガクンと深くなっている。永淵はそう思った。
”鯛の根ではないな”
一体、なにを釣らす気でいるのか。永淵には見当もつかなかった。
”崖の張り出しを狙うのか”
それにしても、そうした場所に群れる魚は余り大きくない。大きくない上に群を作る。数を狙う道楽の釣ならそれでも良いが、永淵が岸浪を訪ねて、二人でやる釣にしては、似つかわしいものではない。
岸浪はしぼったままのエンジンで大きく弧を描くと、慎重に山を合わせた。左を見て、前景の崖の線なり、これと自分がきめている木の線なりを、遠景の山の凹凸に重ねる。そうしながら右側を確かめる。更に念を入れて前方の山を合わせた。
潮の流れは原則的には永淵が普段釣る長崎半島の先端野母崎の辺と変らない。対馬海流が南から押している。五月ともなれば、それはかなり陸に近づいている。当然、陸に近いほど反流を呼ぶ。
岸浪はその反流に船を乗せようとしている。船を北に向けた。
永淵は初めてのことなので、岸浪のすることを見ているばかりである。ただ、油断なく眼は配っていた。…