これが星取山無線中継所からの景色 長崎市出雲3丁目
明治4年(1874)金星太陽面通過観測の最適地として日本が選ばれ、長崎ではフランス隊の金比羅山に対し、アメリカ隊の観測は星取山(当時は太平山。観測を契機に改称)で行われた。
長崎大学附属図書館古写真データベースにも、ほかに星取山から撮影した作品が数点あるのに、現在の山頂一帯は、NTT長崎星取無線中継所が建ち、高い木立に囲まれ見通しが効かない。
1月10日に機会があって、NTT長崎星取無線中継所に入れてもらった。構内の様子や建物屋上から景色を撮影できたので紹介する。長崎港口の方は展望できなかった。
星取山のHP「電話局写真館」による説明は、次のとおり。
NTTコミュニケーションズ 長崎星取無線中継所 | 長崎県長崎市出雲(星取山山頂)
坂の町を見下ろし、星の空を見上げる無線中継所。
坂の町・長崎、星取山山頂にあります。
町から見えた中継所。
明治4年アメリカ隊による金星太陽面通過観測が行われたそうです。
NTTコムとNTT西日本による案内板が設置されていました。
局前のバス停、「無線中継所前」。
時刻表によると一日に朝夕2回やってくるようですが、ここから乗り降りする人はいるのかなぁ。
ひっそりと建てられていた退職記念碑。
中継所に勤務されていた方でしょうか。思い入れが伝わってきます。
金星太陽面通過観測の地(長崎・星取山)
明治4年(1874)金星太陽面通過観測の最適地として日本が選ばれ、アメリカ、フランス、メキシコなどから観測隊が来日し、長崎、神戸、横浜、東京で観測が行われました。
アメリカのダビッドソン隊は、星取山(当時は太平山。観測を契機に改称。)に観測所を設け、12月9日、曇天の中、太陽面を通過する金星の観測を行いました。この観測隊には、当時の海軍省(水路寮:現在の海上保安庁)、文部省から係官が同行し、観測機器類や観測方法などが見聞きしました。後日、日本経緯度原点が東京麻布に設けられたのもダビッドソンの尽力によるものです。
なお、上野彦馬は第3写真助手として雇われ、観測所の風景などを撮影しました。また、長崎ではフランスのジャンサン隊も金比羅山(当時は琴平山)で観測を実施し、記念碑や観測台(いずれも県指定文化財)を残しています。
この案内板は、「長崎さるく博」(平成18年4月〜10月)の開催にあわせ、科学史における偉業が当地で行われたことを記すために設置されたものです。
2006年4月 NTTコミュニケーションズ株式会社 西日本電信電話株式会社
協力 日本大学芸術学部 長崎市教育委員会(長崎市科学館)
観測所風景(上野彦馬撮影)、アメリカ隊が観察に用いた望遠鏡。
この項は本ブログ次を参照。個々の詳しい説明は省くが、山頂からの景色と対比し確認していただきたい。
正門から入った南側の花壇と退職記念碑は取り払われ、そこにNTTが平成18年6月設置した「長崎星取山 金星観測地点」のプレートが新たに地面に埋め込まれていた。博物館と協議してこの場所と決めたらしい。
長崎の幕末・明治期古写真考 幕末明治の長崎 巻頭2〜3P 星取山からの長崎市街のパノラマ
https://misakimichi.com/archives/3970
長崎の幕末・明治期古写真考 幕末明治の長崎 14P 幕末長崎のパノラマ写真
https://misakimichi.com/archives/3971
星取山「金星太陽面通過観測の地」さるく博説明板を考える
https://misakimichi.com/archives/141
星取山「金星太陽面通過観測の地」の遺構がないか
https://misakimichi.com/archives/3115
長崎の幕末・明治期古写真考 「甦る幕末」 151・152:長崎・立神の丘より長崎港口を望む
https://misakimichi.com/archives/2350