長崎の古写真考 幕末明治の長崎 巻頭2〜3P 星取山からの長崎市街のパノラマ ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 幕末明治の長崎 巻頭2〜3P 星取山からの長崎市街のパノラマ ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

「古写真に見る幕末明治の長崎」 明石書店2014年6月刊

巻頭 2〜3P (1)星取山からの長崎市街のパノラマ ベアト撮影 1864年
巻頭 2〜3P (2)勝海舟 1877年ごろ
巻頭 2〜3P (3)坂本龍馬 上野彦馬撮影局で井上俊三が撮影 1867年
巻頭 2〜3P (4)大浦慶
巻頭 2〜3P (5)息子の敬を抱く道永栄
巻頭 2〜3P (6)オランダ人医師ポンぺ
巻頭 2〜3P (7)イギリス商人トーマス・グラバー
巻頭 2〜3P (8)風頭からの長崎市街のパノラマ 1895年ごろ

■ 確認結果

姫野順一氏著「古写真に見る幕末明治の長崎」が、明石書店から2014年6月発行されている。本書は、2007年から2013年まで朝日新聞長崎版に毎週1回、5年9ヵ月に亘って連載された長崎古写真の解説記事「長崎今昔」から、後半部分をテーマに沿って再編集している。
著者の解説は、新聞掲載時から疑問が多かった。そのつど本ブログ古写真考前の記事で指摘済みで、一部は修正されているが、刊行本の内容で再び問題となる作品を取り上げる。正しい解説をお願いしたい。

巻頭 2〜3P (1)星取山からの長崎市街のパノラマ ベアト撮影 1864年

長崎大学古写真データベースでは、目録番号:6152「星取山からの長崎港鳥瞰」。目録番号:1288「星取山から見た長崎港(2)」と目録番号:4878「星取山から見た長崎港(1)」にも、ベアト撮影の同じような作品がある。
最近、やっと撮影地が私の指摘により「ドンの山」とか「鍋冠山」から、「星取山」に変わった。現地確認をまったくしていない。目録番号:6152「星取山からの長崎港鳥瞰」のボードインコレクションによる解説は、次のとおり。

星取山から見た長崎港の鳥瞰写真です。手前の大浦外国人居留地には、まださほど洋館が建て込んでいません。その右手の出島の扇形は鮮明で、その右側には長崎の市街が続いています。湾の奥は浦上まで入り込んで浦上川につながっています。 -6152-

この項は、本ブログ次記事を参照。  https://misakimichi.com/archives/2832
著者は長崎大学附属図書館前館長、現在でも古写真資料室研究員である。データベースの全面修正に尽力し、早く「撮影者:F.ベアト」と直してから、発刊するべきではないか。
国指定文化財「ボードインコレクション」の研究が軽く扱われている。

巻頭 2〜3P (2)勝海舟 1877年ごろ
巻頭 2〜3P (3)坂本龍馬 上野彦馬撮影局で井上俊三が撮影 1867年
巻頭 2〜3P (4)大浦慶
巻頭 2〜3P (5)息子の敬を抱く道永栄

幕末から明治へ−歴史のパノラマに登場する主な人物。48頁によると(2)(3)は国立歴史民俗博物館、140〜141頁によると(4)(5)は長崎歴史文化博物館、長崎文献社の所蔵写真か。ここでも注記が必要だろう。11頁【凡例】三との説明が合わない。
(3)坂本龍馬の写真については、高知県立坂本龍馬記念館などの次記事を参照。
http://www.ryoma-kinenkan.jp/study/qa/ryoma/post-1.php
http://ohya.hatenablog.com/entry/20130526/1369555805