長崎の幕末・明治期古写真考 幕末明治の長崎 巻頭 1P 風頭の物見遊山 ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
「古写真に見る幕末明治の長崎」 明石書店2014年6月刊
巻頭 1P (1)風頭の物見遊山 内田九一撮影 1873年ごろ(現・坂本龍馬像そばの旧石切り場)
巻頭 1P (2)浜町商店街の歳末大売出し 1910年代
■ 確認結果
姫野順一氏著「古写真に見る幕末明治の長崎」が、明石書店から2014年6月発行されている。本書は、2007年から2013年まで朝日新聞長崎版に毎週1回、5年9ヵ月に亘って連載された長崎古写真の解説記事「長崎今昔」から、後半部分をテーマに沿って再編集している。
著者の解説は、新聞掲載時から疑問が多かった。そのつど本ブログ古写真考前の記事で指摘済みで、一部は修正されているが、刊行本の内容で再び問題となる作品を取り上げる。正しい解説をお願いしたい。
巻頭 1P (1)風頭の物見遊山
長崎大学古写真データベースでは、目録番号:657「風頭山(1)」と、目録番号:1195「風頭山(2)」の作品。いずれもまだ撮影者:未詳、撮影年代:明治中期となっている。超高精細画像による解説は、次のとおり。
横浜写真の50枚組(小川一真製作と思われる)の小型アルバムに収載され、鉛筆書きでNagasakiとキャプションがある。長崎旧市街の東部に位置する風頭山の物見遊山の情景。山の麓には長崎有数の寺院が並び、中腹から頂上付近までそれらの墓地が続いている。明治以前にはこの山に清遊を試みる者も多かった。この山頂から長崎港を望んだ写真も多い。この場所は現在でも残る風頭山頂横の古い石切り場の跡であり、切り立った岩はそのためである。切り出された石は墓石に使われた。和服を来た男女31人が思い思いのポーズで写されているが、中には子供も数人いる。服装は当時の普段着として興味深いが、16人ほどの男性成人のうち5人が丁髷を結い、残りの7人は散切り頭であり、女性には和傘と蝙蝠傘を持つものがあり明治初期の風俗をよくうかがわせている。左手背後の市街は立山方面で、海の奥に浦上新田の縁が見える。明治10年代頃か。
この作品は、本ブログ次記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/2228
著者は長崎大学附属図書館前館長、現在でも古写真資料室研究員である。データベースの全面修正に尽力し、早く「撮影者:内田九一」、「撮影年代:1873年ごろ」と直してから、発刊するべきではないか。
巻頭 1P (2)浜町商店街の歳末大売出し
長崎大学古写真データベースでは、目録番号:5127「長崎濱町通り」の作品。まだ撮影者:未詳、撮影年代:未詳となっている。「岡部商店」?の幟など確認され、現在の浜町通りに間違いないのだろう。これも「撮影年代:1910年代」なら、データベースを早く修正するべきではないか。