長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5258 茂木長崎ホテル(4)の訂正記事
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:5258 茂木長崎ホテル(4)
■ 確認結果
きょう、2012年3月31日付朝日新聞長崎地域版「長崎今昔 長大写真コレクション」に掲載されたのは、「石炭積み込み 客船の船腹に沖仲仕」。
今回の古写真考でふれるのは、この記事ではない。左下横の「訂正記事」。
まず本ブログの次の記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/3149
訂 正 17日付「長崎今昔」で「道長エイが外国人のための茂木長崎ホテル(のちのビーチホテル)を建てます」とあるのは、「道長エイが『茂木ホテル』を購入し、外国人のためのビーチホテルと改称します」の誤りでした。当時、茂木には「茂木長崎ホテル」(のちの松柏楼)と「茂木ホテル」の二つがありました。記事についている写真も道長エイが購入した「茂木ホテル」とは別の「茂木長崎ホテル」でした。訂正します。
先々週3月17日紙面で、目録番号:5258「茂木長崎ホテル(4)」の作品を。道長エイが建てた「茂木ホテル」と解説していたので、そのほかの疑問点とともにすぐ間違いを朝日新聞へ知らせた結果の、きょうの訂正記事である。
訂正されたのは了とするが、執筆者が訂正されたのなら、読者に配慮したもう少し懇切な記事とならなかったろうか。茂木とは関係ない「石炭積み込み」を次回にまわしてでも、本文において正しい「茂木ホテル」の記事を掲載してほしかった。写真は次の作品の収集に努めてもらいたい。
茂木町「裳着神社の由緒」現地説明板に、茂木ホテル(後のビーチホテル)の古写真があるので、後ろに載せた。両ホテルの造りと建物背後の山手の違いを良く見てもらいたい。
本ブログ次の記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/1535
https://misakimichi.com/archives/1818
また、ブライアン・バークガフニ氏の研究紀要「古写真と絵葉書に見る茂木街道」が、長崎大学附属図書館「古写真研究 第3号」2009年5月発行57〜62頁に掲載されている。これにも詳しい茂木ホテルの写真がある。
本ブログ次の記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/2795
長崎大学は古写真研究の基本的なことが、おろそかになっていないだろうか。世界に誇る古写真コレクションなのに、国登録有形文化財のボードインアルバム、F.ベアト、地元の上野彦馬など貴重な作品の、現地調査がほとんど行われず正しい検証がなされていない。本ブログで以前から何度となく指摘している。
国の科学調査研究費の補助を受けて構築されたデータベースである。国民の文化啓発のための作品であろう。長崎大学や執筆者のみの占有古写真ではない。学生にまかせた方が研究となり、データベースも臨機応変にすぐ正しいものに改善されるだろう。
現在のテータベースの古写真解説などには、閲覧者や利用者、出版社など非常に困惑している。文化庁に昨年8月、国費の返還を含め長崎大学学長を指導するよう要望したが、今もって回答がない。これで良いと思っているのだろうか。
朝日新聞も自身で事前にチェックを入れないと、権威が疑われるような不名誉な紙面が多い。
私もこれ以上、いちいち言いたくない。決して中傷ではない。長崎大学側の貴重な古写真研究とデータ管理体制に問題があることを指摘している。