長崎名勝図絵の風景 31 萬 福 寺(淵神社)
「長崎名勝図絵」は、長崎奉行筒井和泉守政憲の命を承け、当時長崎聖堂助教で儒者であった、西疇 饒田喩義強明が、野口文龍渕蔵の協力を得て編述し、これに画家の竹雲 打橋喜驚惟敬の精緻な挿絵を加え、完成したもので、執筆は文化、文政年間(1804−1829)であったと思われる。平易に読める文体に書き改めた詳訳が、丹羽漢吉先生の訳著によって、長崎文献社から長崎文献叢書第一集・第三巻「長崎名勝図絵」として、昭和49年(1972)2月発行されている。(発刊序から)
本ブログ「長崎名勝図絵の風景」は、主な図絵について現今の写真と対比させる試み。デフォルメされた図絵が多く、現在ではそのとおりの風景はほとんど写せない。おおかたがわかる程度の写真として撮影している。解説は詳しく引用できないので、図書を参照していただきたい。
淵神社の境内は、稲佐山山頂と結ぶ長崎ロープウェイの発着駅となっている。福山雅治は、ここの宝珠幼稚園に通った。
長崎名勝図絵 巻之三 西邊之部
203 宝珠山能満院萬福寺 (文献叢書 186〜189頁 所在地 長崎市淵町)
稲佐村にある。俗に稲佐辦才天社と称する。新義真言宗 寺は海岸にあり、上の山を妙見岳或いは虚空蔵岳という。山頂に虚空蔵と玄武神〔北方の神〕を祀る妙見祠があったからである。この山の別名は宝山(ほうざん)。これをのちに宝珠山と改めた。樹木が生茂って山の姿が、きれいな宝珠の形をしている。山頂の妙見祠も、麓の辦才天祠も共に、年を経て荒廃していたのを、正保4年(1647)僧龍宣〔延命寺開山〕が辦才天の像と祠を再建し、寺を重修した。すべて古制に復したが、妙見は祀らず、寺の名を宝珠山萬福寺と号した。寺地は山を背にし、海に臨み、景勝の地である。渕村の総鎮守として、沿岸の諸村では毎年祭礼を執行する。海岸に石鳥居がある。…