長与町の主な史跡など (5)  三根郷・平木場郷・本川内郷

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長与町の主な史跡など (5)  三根郷・平木場郷・本川内郷

長与町の主な史跡などの説明は、平成15年ふるさと長与研究会編「ながよふるさとカルタ解説書」HPから。詳しくは、長与町教育委員会編「長与町郷土誌」平成6年発行や、長与町役場HP「観光・文化」の項にある。
http://www.nagayo.jp/kurashi/kyoiku/main_6_11.html   
http://www.nagayo.jp/kbs/index.html

写真  1〜 2   1 夫婦木(みょうとぎ)と人柱の伝説(三根郷)

洗切小手前、川平へ抜ける「小原」交差点付近。JR線路との間の田んぼの中に榎の塚がある。
(長与町郷土誌 上巻 261〜262頁)
長崎バス小原停留所よりほど近いところ、県道と鉄道との間に広がる田んぼの中に、わずかに土を盛り上げた塚があり、そこに枝を広げた一本の榎が立っている。地名は三根の小原というところ。近くを長与川が横切っていて堰が設けられている。…(以下略。洪水が多い地域で昔、治水工事のとき人柱が「夫婦者じゃったろう」という言い伝えがある)

写真  3〜 4   2 上長与地区公民館の温泉とセンダン(平木場郷)

川平へ抜ける「小原」交差点から右折。すぐ左の橋を渡ると上長与地区公民館がある。洗切小学校跡地。旧清水温泉がここに引かれ、センダンの大木がある。
次の記事を参照。  https://misakimichi.com/archives/2853
もう一度 入ってみたい 平木場の湯
むかしから、平木場には、どい水道温泉という冷泉が沸いています。その冷泉は、かさやできもの、それにきりきずといったけがや病気に効能があると言われていました。それで、今でもその水を沸かして、風呂の湯にしています。たとえば、上長与公民館では、浴場を設けており、その湯を使用しています。
(長与町郷土誌 上巻 43頁)
センダン(センダン科) 平木場郷  胸高周囲・332cm、樹高・17m
県下では福江市(五島市?)玉之浦に次いで大きなセンダンで、台風で枝の一部が折れ、樹勢はやや衰えている。

写真  5〜 7   3 洗切陣屋跡(継場跡)(平木場郷)

洗切小手前「洗切」バス停から右の旧道へ入る。すぐ「継ぎ場跡」碑と石垣が残る。
らくですね みんなが休んだ 平木場の継場
平木場郷洗切のパス停近くには、洗切陣屋跡の石がきが今ものこっています。ここは、今からおよそ五百年から六百年前の「武士の世の中」の時代に、役人や大名などが、旅のとちゅうにひと休みして、馬やわらじをかえたり、水を飲んだりしていたところです。

写真  8〜 9   4 首石集落のホルトノキ(本川内郷)

松ノ頭峠への途中、大越公園の所から右急坂を上がる。集落内にホルトノキの巨樹がある。
次の記事を参照。  https://misakimichi.com/archives/2852
(長与町郷土誌 上巻 42頁)
センダン(センダン科) 平木場郷  胸高周囲・332cm、樹高・17m
県下では福江市(五島市?)玉之浦に次いで大きなセンダンで、台風で枝の一部が折れ、樹勢はやや衰えている。

写真 10〜12   5 大越の一里松(本川内郷)

松ノ頭峠への途中、大越公園カーブの所に馬頭観音がある。ここから大越集落へ下る車道が旧街道の道か。一里松(一里塚)はこの辺りにあったと思われる。
(長与町郷土誌 上巻 628頁)
①松の頭峠〜②一里松
松の頭峠は切通されて低くなっている。ここから②までは急傾斜の雑木林だった。大越部落の住人、中島氏の祖先は殿様がとおる時枝を支えて通行し易くしたという。今はミカン園となって旧道の面影がない。大越の東南、斜面の中腹に一本杉が立っている。ここには以前松が生えており、一里松と呼んでいたので一里塚はこれか。 (中島敏昭氏談)
「殿様道の一本杉」の写真は、下巻459頁から

写真 13      6 長与ダム(本川内郷)

(長与町郷土誌 下巻 213頁)
本川内郷に「長与ダム」が完成し、竣工式や祝賀式が行われたのは、昭和60年(1985)11月15日であった。長崎県が、長与川総合開発事業の一環として、昭和48年度に実地調査を開始して以来、実に13年の歳月と、約48億円の巨額の費用を投じて建設したものである。…
このダムは、堤高36m、堤頂の長さ171m、総貯水量60万t、多目的ダムとして治水、かんがい、水道用水の取水などの役目を担い、町発展の礎となるもので、その完成は全町民の大きな喜びであった。…

写真 14      7 扇塚峠(本川内郷)

扇塚峠は、琴の尾岳と丸田岳の鞍部の峠。本川内郷長与ダムや岡郷舟津橋近くなどから琴の尾岳遊歩道(車道)が登っている。
扇塚 この山登ると「おー、きつか。」
あるとき、扇塚から伊木力よりの道を通りかけた二人の武士が、ふとしたことから口論を始め、とうとう刀を抜いての果たし合いになりました。一人は深い傷を負い扇塚から佐敷川内の方へ逃れましたが、途中ばったり倒れ、そのまま息絶えてしまいました。
その武士か逃げる途中、腰に差していた鉄扇を落としたところに塚を建てて供養したので「扇塚」という地名になったそうです。

写真 15〜17   8 琴の尾岳(本川内郷)

県道33号により松ノ頭トンネル入口まで上がる。琴の尾岳山頂まで行く車道へ左折する。
よいながめ 弁当持って 琴の尾岳
琴の尾岳は、四百五十一メートルの高さの山です。山頂からは、大村湾が見下ろせ、雲仙、多良岳、西彼半島、長崎市街と雄大な景色が広がります。山頂には、展望台や広場が整備され、車で行けるところもあって、休日には家族連れでにぎわいます。
頂上から少し下ったところには、江戸時代に長崎の異変を大村藩へ知らせたのろし台の跡があります。近くにはNTTのパラボラアンテナがあり、現在でも重要な情報の中継基地になっています。

写真 18〜20   9 琴の尾岳の烽火台跡(諫早市多良見町)

琴の尾岳の烽火台跡は、諫早市多良見町の町域に入るが2箇所ある。参考のため載せる。
次の記事を参照。  https://misakimichi.com/archives/293
https://misakimichi.com/archives/306