長与町の主な史跡など (4) 岡 郷
長与町の主な史跡などの説明は、平成15年ふるさと長与研究会編「ながよふるさとカルタ解説書」HPから。詳しくは、長与町教育委員会編「長与町郷土誌」平成6年発行や、長与町役場HP「観光・文化」の項にある。
http://www.nagayo.jp/kurashi/kyoiku/main_6_11.html
http://www.nagayo.jp/kbs/index.html
写真 1〜 5 1 前田川内付近の石橋群(岡郷)
岡郷前田川内は、長与総合公園奥の集落。浜崎バス停から右折し、国道207号の旧道を行く。「長与町郷土誌」に記録は見当たらないようだが、この一帯にアーチ式石橋が5橋残っている。
次の記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/628
https://misakimichi.com/archives/2855
写真(1) 前田川内付近アーチ式石橋所在地図
(2) 四釜橋
(3) 四釜橋上流の橋(今回、新しく見つかった)
(4) おこ川橋上流の橋
(5) 旧国道の現役の橋
(6) 旧国道の現役の橋上流の橋(今回、新しく見つかった)
写真 7〜13 2 前田川内洞穴(岡郷)
前田川内溜池から見ると、洞穴は右方の小さい谷間。細い山道を谷づたいに200mほど登った山林中にあるが、山道は入口が畑と藪でわかりにくい。舟津橋先「琴の尾岳遊歩道」(車道)を七曲がり上まで登り、尾根を少し伝って石塔がある所から谷間の洞穴へ下れる。
(長与町郷土誌 上巻 324〜335頁)
(五) 前田川内洞穴
前田川内洞穴は、町内を代表する縄文時代遺跡で、町内唯一の洞穴遺跡である。(「第22図 周辺地形図」、「第23図 近景」も同郷土誌から)
遺跡の立地
長与町岡郷字丸尾にある。長与町の北部、前田川内の集落を奥に入り、前田川内溜池から細い山道を谷づたいに200mほど登った山林中にある。標高51〜54m。現在は、山道は雑草や竹におおわれ歩きにくい。琴ノ尾岳から西へのびた尾根の北斜面に当り、北へ開いた谷の奥である。高さ10m余の崖をつくる三塊の巨岩があり、その崖下に生じた洞穴である。安山岩質の凝灰質角礫岩は侵食に弱く、町内では稗ノ岳など特徴的な侵食地形をつくっている。
この洞穴も、凝灰質角礫岩よりなり、垂直に発達した崖に亀裂や崩落が生じ、洞穴が生じたと予想される。岩塊と森林に囲まれて昼間でも暗く、恵まれた立地条件とは思えないが、水は豊かである。
洞の平面形は袋状をなし、現在の雨だれラインから4mほどの奥行きがある。堆積土もあって調査時の開口部の高さは60cm、奥で1m20cmほどあった。
調 査(略)
出土遺物(略)
特 色
…前田川内洞穴は、洞穴遺跡としては長崎県南部で数少ない例のひとつで、大村湾南岸では唯一の洞穴遺跡ということができる。第Ⅲ層が遺物を含む土層で、縄文時代早期(押型文土器)だけの短い間の利用にとどまっているが、住居として利用されていたことはまちがいない。…
写真 14〜16 3 穴 岩(岡郷)
岡郷中通集落の旧国道「おこ川橋」手前から、琴の尾岳方面を写した。山腹の岩が「穴岩」だが、今はここから穴は見えない。「岡」バス停から「琴の尾岳遊歩道」車道へ入る。最後の人家から右折、急な農道を岩の近くまで上がる。岩の下部にやっと丸い穴が確認できた。かなり大きい。
「穴岩」は、前項の洞穴遺跡とは別の岩である。
「郷村記」には、「此の向ふの岩面に洞穴あり、鬼の穴と云」と記している。(長与町郷土誌上巻
631頁「毘沙門越時津通道筋」を参照)
目の前で 「オーラオーラ」と 穴岩の声
長与町岡郷の中通りを過ぎていくと、右側の山の中ぐらいの所に、まんまるい穴が見えてきます。夜、その穴の下で、「オーラオーラ」と叫んで、かしわ手を「パン、パン」と打つと何か恐ろしいものがその穴を出たり、入ったりするのが見えるそうです。
写真 17〜19 4 堂崎遺跡(岡郷)
長与町及び県内を代表する旧石器時代遺跡。岡郷堂崎にある。幅350〜400m、長さ約1kmの小半島。周囲は、高さ10mほどの海食崖が発達している。景勝の地。遺物は半島の北半部に広く分布している。
歴史を 教える 堂崎遺跡
岡郷の堂崎遺跡からは、石で作った道具がたくさんほりだされました。このことから、ここでは大むかし−万年ぐらい前(じょうもん時代ごろ)の人々が、魚をとったり、かりをしたりしてくらしていたことかわかります。