戸石の銀鉱跡?金山(かなやま)  長崎市戸石町

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戸石の銀鉱跡?金山(かなやま)  長崎市戸石町

布袋厚氏著「長崎石物語」長崎文献社2005年刊146〜147頁に、明治の終わりころまで続いた「川平金山」の話がある。
私も現地を実際に調査し、2カ所の坑口跡が、今も現存しているのを確認している。市南部の藤田尾海岸にも金山跡がある。
川平金山の項を参照。 https://misakimichi.com/archives/262
藤田尾の金山は次項。 https://misakimichi.com/archives/281

「川平金山」は長崎市の北部地域。同著によると「川平金山の一帯から、西は長崎市と時津、長与が接する百合野付近、東は帆場岳をへて現川周辺にいたる東西10km、南北5kmの範囲に、安山岩質のマグマが地中で冷えて固まった岩石が分布している」
「川平の金鉱は、川平閃緑岩類の岩石に微量にふくまれていた金が熱水によって溶けだし、特定の場所にあつめられて形成された」そうである。

私が今回訪ねたのは、市の東部地域、「戸石の金山(かなやま)」である。下記の東長崎郷土誌により最近、その存在を知った。
現川周辺の延長線上に位置するが、「川平金山」と同じ岩脈か、別の岩脈か、私には何も説明ができない。中尾には銀山があった古記録がある。八郎川を挟んだ戸石のは、単純に図から見ると「行仙火山岩類」の区域である。
11月17日(月)に長崎学さるく「三ツ山と六枚板の史跡をさるく」において、江越先生を講師として川平金山跡を訪ねるため、戸石の金山も早急に確認しておく必要があった。

戸石町の現地は、長崎市立戸石小学校の正門の方から戸石保育園前を通って、奥へ入る道路がある。東長崎ゴルフガーデンの裏手山腹を行き、農園入口で行き止まりとなっていた。
ちょうどこの区間の中間ほどの谷間に、大きなミカン農家と倉庫があり、その先にすぐ1軒の空き家が右手の石垣上にある。この家の横の岩面に、写真のとおり坑口を開けていた。

柵をして横穴の中は立ち入り禁止。水を抜いている2本の塩ビ管がある。小さな穴が空いて水が噴出していた。
近所のミカン農家の主の話によると、この横穴はかつて、「金」でなく「銀」を採掘した坑道跡のようである。山の反対側の民家の方に出口があった。入口の柵から中に入ってもすぐ崩壊があり進めないし、出口側も崩壊のたため、今は確認できないということであった。

今回の報告はとりあえずここまで。詳しい資料が見当たったら、また報告したい。
東長崎地区連合自治会編「2000年の東長崎」平成13年刊、郷土の誇り31頁による説明は次のとおり。
29 金   山 (かなやま)

戸石小学校の裏山を一つ越すと俗称かなやまという所がある。そこに一軒の家があるが裏手の山腹におよそ千五、六百メートルの横穴がある。入口は狭いが中に入るにしたがって広くなり、こうもりがすんでいる。
人々は昔、金を採掘した跡だと言っているが、地質は安山岩で、岩石中にも、洞内から流れる水にも金属光沢のある鉱物を含んでいるが、繊弱な岩石であるから金鉱であるかは疑わしい。十数年前まではこの清水を薬湯として入湯したものであった。