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甘木歴史資料館の国境石  朝倉市甘木 ( 福岡県 )

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甘木歴史資料館の国境石  朝倉市甘木

甘木歴史資料館の前庭に屋外展示されている国境石2基。資料館は甘木鉄道甘木駅の東、県道33号から少し中に入る。
説明板ではわかりにくいので、HP「筑前国境石散歩」による説明を載せる。

朝倉市白鳥

文 字 筑前)從 是 北 筑 前  以下不明   筑後)從 是 南 筑 後 國
場 所 現在の朝倉市白鳥にあった石です。甘木市(現朝倉市)の学芸員さんにお聞きしたところ、「白鳥村は少し筑後が筑前側に張り出しているめ国境石が置かれたのでは」とのことです。
現在は、甘木歴史資料館の前庭に「郡境石」と共にあります。
備 考 この石の設置に関しての資料は残ってないそうです。石自体は切りだされたままの虎目が残る石です。

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストのデータに、次のとおり登載された。

元・白鳥の国境石1 しらとり
朝倉市 甘木歴史資料館 境界石 江戸期 WEB(筑前国境石散歩) 移設→展示 (正面)「從是北 筑前…」/筑前国〜筑後国/下記の「元・白鳥の国境石2」と一対 2 C

元・白鳥の国境石2 しらとり
朝倉市 甘木歴史資料館 境界石(蒲鉾型) 江戸期 WEB(筑前国境石散歩) 移設→展示 (正面)「從是南 筑後國」/筑前国〜筑後国/上記の「元・白鳥の国境石1」と一対 2 C

馬田の国境石  朝倉市馬田 ( 福岡県 )

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馬田の国境石  朝倉市馬田

HP「筑前国境石散歩」による説明は、次のとおり。国道500号馬田交差点から馬田小学校の裏手に行くと、馬田コミュニティセンターがある。国境石は正門右の敷地内に移設されてある。

朝倉市馬田
文 字
上) 七 十 (四?) 
筑前)従是北東筑前 以下不明
筑後)従是南西筑後國
場 所 朝倉市の馬田公民館にあります。元々の設置の場所はわかりません。
備 考 下の部分で一度折れており、修復され鉄枠で補強されています。
サイズ 高さ 92×横 24×奥行 20.5(cm)

松尾神社の大楠  朝倉市古賀 ( 福岡県 )

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松尾神社の大楠  朝倉市古賀

朝倉市HPの「市指定天然記念物」による説明は、次のとおり。県道8号が県道112号と出合う古賀茶屋交差点の少し手前右側に松尾神社はある。

松尾神社の大楠

朝倉市 天然記念物 昭和50年1月11日指定
朝倉市古賀  
樹高35.0m、胸高周囲8.1m。松尾神社の神木で、同神社の建立にかかわりを持つ。神社由来によると、醸造の神である京都松尾大社の分霊が大同2年(807)に肥後国に遷座された。それを元和2年(1616)9月29日に筑前・豊前両国の崇敬者の懇請により、肥後松尾神社から当地に奉祀した。当地を選んだ理由として大楠樹があったためとある。

山隈の国境石  筑前町山隈 ( 福岡県 )

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山隈の国境石  筑前町山隈

サイト「近世以前の土木・産業遺産」佐賀県リストによるデータは、次のとおり。国道500号が大刀洗町から筑前町に入る山隈交差点少し手前の町境にある。説明板はなく電柱根元にあるから、見落とさないように。

山隈の国境石 やまぐま
(朝倉)筑前町 境界石(自然石) 元禄10(1697)? WEB(筑前国境石散歩) 撤去後、再設置 (正面)「從是 北・東 筑前國」/筑前国〜筑後国/解説板通りだと、かなり古い(17世紀の国境石) 2 B

二・天山の郡界石(二境界石)  筑前町二 ( 福岡県 )

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二・天山の郡界石(二境界石)  筑前町二

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおりで同一。県道77号や県道112号など交差する筑前町山家道交差点から、北の筑紫野病院の方へ向かう。旧日田街道に出て丘上の墓所入口のところに郡境石がある。現在もここが町市境。

二・天山の郡界石(二境界石) ふた、あまやま
(朝倉)筑前町・筑紫野市 境界石 江戸期? WEB(筑前国境石散歩) 原位置(筑前町と筑紫野市の境界線上) (正面)「従是、西 御笠郡/東 夜須郡」/夜須郡〜御笠郡/筑紫野市サイドの地名は「天山」 1 C

天山・二の郡界石(ニ境界石) あまやま、ふた
筑紫野市・(朝倉)筑前町 <日田街道> 境界石(尖頭角柱) 江戸期 WEB(筑前国境石散歩) 原位置(筑紫野市と筑前町の境界線上) 「従是、西 御笠郡/東 夜須郡」/御笠郡〜夜須郡/筑前町サイドの地名は「二(ふた)」 1 C

山家宿の西構口  筑紫野市山家 ( 福岡県 )

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山家宿の西構口  筑紫野市山家

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。国道3号筑紫交差点などから山家道を通り国道200号に入り山家郵便局手前まで行く。北へ市道を上がると、角左に長い白塀の家が見え、ここが山家宿の西構口で説明板がある。
5枚目以降の写真は、山家宿のほかの主な史跡地。白い標柱などが立っていた。

山家宿の西構口 やまえ
筑紫野市 <山家宿> 石塀・土壁 江戸期 県史跡 市教委 土壁は明治期の復元/平成18・19年に修復 小規模な構口が多い中で、長大な土壁付き構口は稀少→吉田松陰の『西遊日記』(1850)の中で、「道中ノ諸駅ヲ歴観スルニ、駅ノ前後ニ於テ左右袖ノ如ク石垣ヲ築キ、女墻ヲ附ル者多シ、亦事アルノ時、里門ヲ作ルガ為ニ便スルカ」と記されている 2 B

冷水峠の石橋(首なし地蔵前の石橋)  飯塚市内野 ( 福岡県 )

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冷水峠の石橋(首なし地蔵前の石橋)  飯塚市内野

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。国道3号原田交差点などから国道200号により飯塚方面の冷水峠へ行く。大根地神社大看板がある入口手前の林道を上がると、旧長崎街道の冷水峠に着く。
飯塚市内野側へ10分ほど下ると、首なし地蔵堂とその脇の沢に桁石橋があり、石畳の峠道となつている。

冷水峠の石橋(首なし地蔵前の石橋) ひやみず
飯塚市 <長崎街道>/穂波川支流 石桁橋(花崗岩) 長2.9m(G),幅2.6m 文政6(1823) 市教委 /WEB(みさき道人) 保存状態良好 石梁3本を使用 1 –

冷水峠の石畳  飯塚市内野 ( 福岡県 )

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冷水峠の石畳  飯塚市内野

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。国道3号原田交差点などから国道200号により飯塚方面の冷水峠へ行く。大根地神社大看板がある入口手前の林道を上がると、旧長崎街道の冷水峠に着く。
飯塚市内野側へ10分ほど下ると、首なし地蔵堂と桁石橋がある。この間は良好な石畳が残った峠道だった。土砂崩れ補修もされている。撮影写真はわかりやすいよう、地蔵堂付近から冷水峠へ登る順に並べた。

冷水峠の石畳 ひやみず
飯塚市 (内野)<長崎街道> 石畳道 長約2㎞,幅1.8m(最大でも) 慶長16(1611) 市教委 /WEB(みさき道人) 修景的に整備/筑紫野市側は滅失 毛利但馬/開削以来、幹線街道として使用され続けた(それまでは、古八丁越が幹線ルート) 2 B

冷水峠の郡境石1・2  飯塚市内野 ( 福岡県 )

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冷水峠の郡境石1・2  飯塚市内野

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。国道3号原田交差点などから国道200号により飯塚方面の冷水峠へ行く。大根地神社大看板がある入口手前の林道を上がると、旧長崎街道の冷水峠に着く。対になった郡境石2本と、「從是大根地宮十四丁」の道標がこの峠にある。

冷水峠の郡境石1(穂波・御笠郡境石) ひやみず
飯塚市 大根地神社・入口 <長崎街道> 境界石(尖頭角柱) 江戸期 WEB(筑前国境石散歩) 原位置 (正面)「從是東 穂波郡」/穂波郡〜御笠郡/御笠郡側の境界石と対をなす 1 C

冷水峠の郡境石2(御笠・穂波郡境石) ひやみず
飯塚市 大根地神社・入口 <長崎街道> 境界石(尖頭角柱) 江戸期 WEB(筑前国境石散歩) 移設?(本来なら筑紫野市側) (正面)「從是西 御笠郡」/御笠郡〜穂波郡/穂波郡側の境界石と対をなす 2 C

太宰府天満宮参道橋  太宰府市宰府4丁目 ( 福岡県 )

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太宰府天満宮参道橋  太宰府市宰府4丁目

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」福岡県の石橋によるデータは、次のとおり。

№2,056 太宰府天満宮参道橋・過去橋

太宰府市宰府4丁目
7径間円弧桁橋

太宰府天満宮由緒
「祭神 菅原道真公
鎮座 延喜3年2月25日
菅原道真公は承和12年6月25日京都の菅原院にて御生誕 国家の興隆と文化の発展に尽され 延喜3年2月25日 配所榎寺に於いて清明の一生を終えられ現在の御本殿の地に葬り 菅聖廟安楽寺天満宮と称えて奉祀す 誠道守護 学業成就 除災招福等の信仰厚く 全国天満宮の総本社とも仰がれる御社であります。」
太宰府天満宮社務所

心字池と太鼓橋
「この神池は心という字をかたどったものであり、太鼓橋と直橋の三つの神橋は、仏教思想にいう過去・現在・未来の三世一念の相を現わしたものである。この池の橋を渡ることによって「三世の邪念を祓う」ともいわれ、参拝者の身を清める橋でもある。」

№2,057 太宰府天満宮参道橋・現在橋

太宰府市宰府4丁目
5径間桁橋

№2,058 太宰府天満宮参道橋・未来橋

太宰府市宰府4丁目
5径間円弧桁橋