漲水御嶽と石垣 宮古島市平良字西里
宮古島市HPの 宮古島市の文化財 > 史跡1〜25 による説明は、次のとおり。県道83号宮古島市役所前交差点から少し平良港の方へ下り、右西裏通りに入って進むと、宮古神社の対面に「祥雲寺」がある。手前左側に下る坂道が「漲水石畳道」で、「漲水御嶽と石垣」は、この坂道を下った所にあった。
市指定史跡 漲水御嶽と石垣 指定年月日: 昭和49(1974)年8月29日
宮古島創世の神話並びに人蛇婚説話等にいろどられ、古代宮古人の源流をさぐる上からも貴重な御嶽である。南側石垣は目黒盛の玄孫・仲宗根豊見親(中導氏)が1500年中山王府の先導で、八重山のオヤケ赤蜂征討にさいし、神霊の加護で勝利したら神域を整備、奉納しようと警願、めでたくがい旋した戦勝記念に築いたと、忠導氏本宗家譜にでている。オヤケ赤蜂征討は賛否分かれるところであるが。石垣そのものは直接には民衆の労働の成果であり、当時の石造技術を知るうえでも貴重である。