月別アーカイブ: 2015年11月

川筋道道しるべ(元・山鹿の道標)  芦屋町山鹿 ( 福岡県 )

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川筋道道しるべ(元・山鹿の道標)  芦屋町山鹿

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。芦屋町役場近く、国道495号芦屋橋西から遠賀川を下流側へ行き、光明寺入口へ坂道を上がった先に、火切地蔵堂がある。この角に「筑前蘆屋宿搆口の跡」碑があり、「川筋道道しるべ」(追分石)が立つが、現在の標石は新しい御影石である。
芦屋町が平成7年頃、置き換えたもので、現物は芦屋町歴史民俗資料館の収蔵庫に保管されていた。砂岩製で破損の恐れあり、町がこのような措置を取ったということであったので、資料館で現物の標石を写させてもらった。

川筋道道しるべ かわすじ
(遠賀)芦屋町 <唐津街道> 石道標 高52㎝(欠損),18㎝角 文久元(1861) 町教委 欠損 「新町/濱口道 川筋道」 4 –

HP「お寺めぐりの友」による芦屋宿の川筋道道しるべ(追分石)の説明は、次のとおり。 

芦屋宿 あしや   旧:遠賀郡蘆屋村 現:遠賀郡芦屋町 ASHIYA STA.

概要
ここでは芦屋宿より海老津を経由し赤間宿に至るルートを紹介する。
ここに『筑前國続風土記』巻之14 遠賀郡上 ◯蘆屋あしやの項の内容を引用する。
「民家多く町頻すこぶる廣ひろし。富家も亦また多し。 岡の湊の南のほとりにあり。 むかひは山鹿がの里也。 遠賀川其間をへだつ。 旅船おおく出入して、交易の利多く、民家にぎはへり。 (以下略) 」
芦屋は「葦屋」「蘆屋」とも書き遠賀川の河口に位置し、流域の産物の集散地であった。
芦屋町の歴史については、芦屋歴史民族資料館に、かなりの遺物が保存されている。

ルート
渡船場跡 → 光明寺前 → 構口 → 芦屋小学校 →(以下略)

渡し場跡
渡場跡のすぐそばには、芦屋大橋がある。当時の渡船場の痕跡は何も残っていない。芦屋大橋のたもとにある石碑の裏に書いてある内容を書く。
「筑前21宿の1邑であった芦屋と山鹿間の往来は、渡船によって永い間行なわれていたが、 明治40年1907には町営となった。 当時の渡船料は大人が6厘、牛馬1頭口付1人共1銭1厘、 自転車は乗人共1銭であった。 渡し場は幅約8メートルの石畳の斜面 になっていて、福岡までの距離を示す元標が立っていた。大正6年4月旧芦屋橋が架けられると同時に渡船も廃止された。」

光明寺前
ここまで北上してきた街道はここで90度左にカーブする。 ここより西構口までは上り坂である。 光明寺は浄土宗のお寺で境内にはイチョウの古木がある。

構口
構口には、祠と梵字石それに追分石がある。梵字石の裏には弘化2年18465月吉日の銘がある。
追分石には「左濱口通 川筋道」 と刻まれている。(文久元1861銘)  この追分石は、真新しい御影石でできているが、近年置き換えられたのであろう。

(2015月11月28日 追 記)
サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり更新された。 

元・山鹿の道標 やまが
(遠賀)芦屋町 町歴史民俗資料館 石道標(砂岩) 高52㎝(欠損),18㎝角 文久元(1861) 町教委 収蔵庫内に保管/頂部欠損 (正面)「… 濱口道 川筋道」、(右面下部)「新町」 4 –

藍 島(2)  北九州市小倉北区藍島    ( 福岡県 )

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藍 島(2)  北九州市小倉北区藍島   

藍島(あいのしま)は北九州市の北4.2kmの響灘にあり、南北に細長く起伏の小さな平坦な島。面積0.68㎢、周囲13.2km。JR小倉駅北東側の砂津港ターミナル浅野乗り場から、北九州市営「こくら丸」により約35分で、馬島に寄り藍島港に着く。1日3便、料金は片道400円。
(1)は、藍島本村港から島の北部、千畳敷までの往路、(2)は、千畳敷と復路の島の東南部の風景。最後の藍島地図は、福岡県広域地域振興課ポータルサイトから。

藍 島(1)  北九州市小倉北区藍島 ( 福岡県 )

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藍 島(1)  北九州市小倉北区藍島   

藍島(あいのしま)は北九州市の北4.2kmの響灘にあり、南北に細長く起伏の小さな平坦な島。面積0.68㎢、周囲13.2km。JR小倉駅北東側の砂津港ターミナル浅野乗り場から、北九州市営「こくら丸」により約35分で、馬島に寄り藍島港に着く。1日3便、料金は片道400円。
(1)は、藍島本村港から島の北部、千畳敷までの往路、(2)は、千畳敷と復路の島の東南部の風景。最後の藍島地図は、福岡県広域地域振興課ポータルサイトから。

藍島遠見番所旗柱台  北九州市小倉北区藍島 ( 福岡県 )

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藍島遠見番所旗柱台  北九州市小倉北区藍島   

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。藍島(あいのしま)は北九州市の北4.2kmの響灘にあり、南北に細長く起伏の小さな平坦な島。JR小倉駅北東側の砂津港ターミナル浅野乗り場から、北九州市営「こくら丸」により約35分で藍島港に着く。1日3便、料金は片道400円。
本村の藍島隧道手前から左の千畳敷方面の高台道に入ると、10分ほど歩いた途中に「遠見番所旗柱台」案内標識があり、左のピーク原へ行く。近くの民家が遠見番所跡地のよう。
最後の藍島地図は、福岡県広域地域振興課ポータルサイトから。

藍島遠見番所旗柱台 あいのしま
北九州市(小倉北区)(藍島) 遠見番所の旗柱台(花崗岩) (2本)高2.4m,45㎝×62㎝ 享保6(1721) 県史跡 WEB 石柱2本と基盤石のみ残る 狼煙場は多いが、旗柱台は非常に珍しい/密貿易船を発見すると、紺地に白く染め抜いた三階菱の大旗をこの旗柱台に掲げて、中原の境鼻見番所(注 小倉北区中井浜、櫓山荘跡)に急報した 3 B

松江の郡境石(築城・上毛郡境石)  豊前市松江舟入 ( 福岡県 )

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松江の郡境石(築城・上毛郡境石)  豊前市松江舟入

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。豊前市の北西側、県道113号が国道10号と合流する舟入交差点まで行く。集落に入りすぐ右方の旧道を見ると、小橋の脇にこの郡境石が立つのが見える。
地元の話では、もともと橋手前右岸にあった(1枚目写真の右下にコンクリート跡あり)。一時、今空き家の門扉内庭に移され、市がその後、現在の橋を渡った左岸赤道上に立てたと言う。

松江の郡境石(築城・上毛郡境石) しょうえ
豊前市 (船入)<豊前道> 境界石 高200㎝,20.5㎝角 江戸期 市史跡 市教委/WEB(筑前国境石散歩) 移設→個人宅→再移設 (正面)「從是西 築城郡」、(右面)「從是東 上毛郡」/築城郡〜上毛郡 2 B

なお、地名が「舟入」というとおり、このあたりまで港だったらしい。国道の自動車学校となった川の下流側に古い築堤の石垣が残っていた。

宇島港12号護岸(地波止)・宇島港2号波除堤(新波止)  豊前市宇島港 ( 福岡県 )

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宇島港12号護岸(地波止)・宇島港2号波除堤(新波止)  豊前市宇島港

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。県道113号JR宇島駅前の東側、東八幡交差点から踏切を渡り、県道222号により宇島港へ出る。
まず「宇島港12号護岸(地波止)」は、宇島神社や宇島地先工業団地の入口道路一帯で、古い港跡の石防波堤を確認できた(写真1〜10)。
次の「宇島港2号波除堤(新波止)」は、これがどこなのか。新岸壁の先端へ行き釣り人に訪ねると、西対岸豊前発電所側沖の赤灯台あたりの波除堤を指し、松林地先から0,1,2,3と数えると言う。大分県の巡視艇ぶんごの職員も、地波止は教えてくれたが、2号波除堤は知らなかった。
正確な場所がわからず、とりあえず対岸の遠景なども写してきた(写真14〜18)。遺産サイトに確認をお願いしたところ、資料は不明だが現地写真の状況から、やはり手前岸壁の地波止反対側、巡視艇が係留しているあたりだろうとなった(写真12)。 

宇島港12号護岸(地波止) うのしま
豊前市 宇島港 石防波堤 文政8(1825) 市教委/歴史的な港湾施設資料集 埋立により天端部分のみ現存しているが、放置されている 外側に、根切り石を護る捨石として無数の巨石を敷設/米運送のための舟着場の整備と、諸国廻りの船舶の難波防止のため建設 3 C

宇島港2号波除堤(新波止) うのしま
豊前市 宇島港 石防波堤 弘化3(1846) 市教委/歴史的な港湾施設資料集 外形が残っているが、前面と天端部分はコンクリート被覆 4 C

医王寺旧参道石畳  上毛町西友枝 ( 福岡県 )

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医王寺旧参道石畳  上毛町西友枝

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。上毛町地役場前の県道109号を南へ進み、土佐井交番の分岐は右へ。京筑アグリラインと交差し、県道をそのまま小学校跡の西友枝体験交流センターゆいきららまで行く。角に「松尾山修験道遺跡」案内板があり、右折して松尾川沿いに約3km進むと、終点の駐車場に着く。

「医王寺旧参道石畳」のある場所は、上毛町ガイドブック「上毛の宝」松尾山修験道跡散策マップの青囲線を参照。祇園社中宮石段下の二ノ鳥居前から右の旧参道に入る。
松尾山は標高471m。当日は夕刻、濃霧がひどく小雨となり、デジカメも内部から曇って石畳をはっきり写せなかった。後日の機会に差し替えたい。5枚目写真は二ノ鳥居手前参道の石畳(年代が新しい?)。 

医王寺旧参道石畳 いおうじ
(築上)上毛町 松尾山 石畳道 長約80m,約1.0〜0.8m 江戸期 町教委 不使用だったため、良好に保存 下部は、上面を平らに加工した小ぶりの石を敷き詰める 1 C

土佐井の梵字大石・磨崖仏  上毛町土佐井 ( 福岡県 )

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土佐井の梵字大石・磨崖仏  上毛町土佐井

上毛町ガイドブック「上毛の宝」による説明は、次のとおり。上毛町役場前の県道109号を南に進み、交番の分岐は右へ。京筑アグリラインの交差点を過ぎると、すぐ県道の右手脇にある。

土佐井磨崖仏

菩薩形をした高さ40cm前後の像が彫られています。鎌倉時代末から室町時代頃の作で、現在確認できるものは数体程しかありません。周辺には山伏たちの峰入りコースや梵字が刻まれた大石、銅製経筒が出土した経塚があることから、松尾山修験道に関連する遺跡であると考えられています。

友枝瓦窯跡  上毛町土佐井 ( 福岡県 )

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友枝瓦窯跡  上毛町土佐井

上毛町ガイドブック「上毛の宝」による説明は、次のとおり。上毛町役場前の県道109号を南に進み、交番の分岐は右へ。京筑アグリラインと交差する約500mほど手前から新池や大迫池の堰堤下を通る農道に右折して進むと、大迫池先の山地斜面に「友枝瓦窯跡」があった。
現在は史跡保全工事中のため立入禁止だったので、内部写真は同ガイドブックのを載せる。

友枝瓦窯跡  国指定史跡

奈良時代に現在の町立南吉富小学校付近に建立されていた垂水廃寺へ瓦を供給するために造られた地下式の有階有段登窯です。内部には瓦を置くため、階段状の段が17段設置され、最上部に煙出しの穴が二つ開けられています。朝鮮半島の新羅系や百済系の瓦が出土しています。

旧勅使道  上毛町大ノ瀬 ( 福岡県 )

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旧勅使道  上毛町大ノ瀬

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。国道10号沿いの「道の駅しんよしとみ遺跡前」は、史跡一体型の道の駅である。後ろ側に広大な国指定史跡「大ノ瀬官衙遺跡」があり、遺跡前とこの道の駅との間に直線的に伸びる町道が、「旧勅使道」だと上毛町役場から聞いた。

旧勅使道 ちょくしみち
(築上)上毛町 道路 幅約3.0m 律令期 町教委 住宅街の中に不連続に残る/舗装道 不連続ながら全体的には直線性を保持し、古代官道の雰囲気は感じられる 3 C