月別アーカイブ: 2015年10月

後野上の地蔵道標2  九重町後野上(猪牟田) ( 大分県 )

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後野上の地蔵道標2  九重町後野上(猪牟田)

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。国道210号豊後中村駅入口交差点から九重高原の方の県道40号へ入る。町田発電所先の猪牟田霊水のところから左の橋を渡り、猪牟田集落のバス停まで行く。近くに5体の石地蔵を安置した祠があり、左端のがこの地蔵道標である。

後野上の地蔵道標2 うしろのがみ
(玖珠)九重町 (猪牟田) 石道標(舟型) 天保4(1833) 九重町郷土誌p241 原位置? (正面右端)「右 やま」、(同左端)「左り 田の道」/正面中央に地蔵立像を陽刻 1 –

菅原の地蔵道標1 九重町菅原(桐木) ( 大分県 )

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菅原の地蔵道標1 九重町菅原(桐木)

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。国道387号宝泉寺温泉先から桐木集落内の旧道へ入る。集落の中ほどに大萱葺屋根の家があり、手前の坂道を登るとすぐその左崖面にこの地蔵道標がある。宝光寺の手前カーブのところ。
九重町郷土誌には、「備考 歯の痛みをとる地蔵として、今でも参拝がある。この地蔵は、他より移転した物。総高67センチ」と記している。

菅原の地蔵道標1 すがわら
(玖珠)九重町(桐木)石道標(舟型) 高67㎝ 文化11(1814) 九重町郷土誌p239 原位置? (正面右端)「右 もり道」、(同左端)「左 やまうら道」/正面中央に地蔵立像を陽刻 1 C

鉾納社のケヤキと夫婦スギ  小国町黒渕(東蓬莱) ( 熊本県 )

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鉾納社のケヤキと夫婦スギ  小国町黒渕(東蓬莱)

サイト「気になる!くまもと」の老樹名木が語る『ふるさとの自然・歴史・暮らし』による記事は、次のとおり。
国道387号沿い。小国町出身の洋画家坂本善三美術館に至る道の角に、鉾納宮(鉾納社)がある。

樹齢1000年の鉾納社(ほこのみや)の欅(けやき)  (阿蘇郡小国町)

■年月の積み重ねを感じさせるケヤキ

神社の境内から行き交う人々を見守るようにそびえ立つ巨樹です。近くにある大杉がすらりとしているのに比べ、ゴツゴツとして苔むした幹の佇まいに堂々とした風格を感じます。
ケヤキ 町指定天然記念物
樹齢(推定) 1000年
幹囲 7.3メートル
樹高 18.3メートル

■ケヤキやスギの巨木がつくる鎮守の森

小国町の中心・宮原(みやのはる)地区から国指定天然記念物「阿弥陀杉」に向かう途中、国道387号から坂本善三美術館に曲がる右手の角に鉾納社(ほこのみや)があります。この境内には巨木が多くて神々しい鎮守の森を作っていますが、その曲がり角を見下ろすような位置に立っているケヤキの巨樹が「鉾納社の欅」です。樹肌はゴツゴツとして苔むし、道路より一段高い台地の縁に立っているため根が地表に現れ出て、岩の塊の一部のように見えます。
道路から境内に登って行く石段の右側に立つ、厳格な門番のような佇まいです。もともとは、神社を守る仁王像のように2本のケヤキが並び立っていましたが、西側の樹が枯れて1本だけになってしまったとのことです。樹高は現存する樹の方が高いのですが、幹囲は枯れた樹の方が大きかったそうです。一本だけでもこれだけ堂々としているのですから、二本がセットになって並んでいたときの姿はさぞかし立派だったことでしょう。

鉾納社は明治期に正式名を宝来(ほうらい)吉見神社と定めましたが、地元では古くからの名である鉾納社と呼ばれています。神武天皇の皇子国龍命(くにたつのみこと)とその妃が祀られています。神社の由来は詳しくはわかりませんが、言い伝えによると黒淵地区の久漏牟田(くろむた)の鉾洗(ほこあらい)から二振りの鉾が出土し、湧水できれいに洗いあげたところ見事に光り輝き、その鉾をお宮に納めたといわれます。
楼門の下には「夫婦杉」と呼ばれ、樹齢700年といわれる2本のスギの巨樹が、高さを競うように並んでそびえ立っています。勢いよく伸びた枝からは青々と葉が茂り、圧倒的な存在感があります。楼門に向かって右が男杉、左が女杉と呼ばれていて、二人三脚で小国郷を見守ってきたかのようです。夫婦杉のほかにも拝殿の横や境内に何本ものスギが大きく育っていて緑濃い鎮守の森を形成しています。境内には古い祠(ほこら)があって、そこに社(やしろ)を建て、安産祈願の小さな鳥居がつくられました。

鉾納社の横には小国町が誇る坂本善三美術館があります。坂本善三は明治44年(1911)小国町黒渕に生まれました。「グレーの画家」と称され、ヨーロッパでは日本の伝統的な美しさを表現する画家として高い評価を受けました。東京のアトリエを空襲によってすべて失った画伯は、戦後に帰郷して、ふるさとの自然などをテーマに抽象画を描き続けました。この美術館では昭和62年(1987)に亡くなるまで制作した代表的な作品177点を収蔵、展示しています。明治期の古民家を改築した美術館は、郷土の景観保全と創造に貢献したとして、平成7年に「くまもと景観賞」を受賞しています。

豊栄鉱山の間歩・尾平鉱山の間歩  豊後大野市緒方町上畑ほか ( 大分県 )

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豊栄鉱山の間歩・尾平鉱山の間歩  豊後大野市緒方町上畑ほか

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによる説明は、次のとおり。原尻の滝入口から県道7号により尾平越トンネルの方へ向かう。
豊栄鉱山は、上畑健男社手前から傾山九折登山口まで行くと、ここが鉱山跡である。「豊栄鉱山鉱害防止協会現場事務所」のある一帯である。
尾平鉱山は、尾平越トンネルの登りにかかるところまで県道をさらに進む。「資源環境センター尾平事務所」がある一帯である。

鉱山跡はいずれも立入禁止で、山林内に残るという間歩は、簡単には確認できない。尾平鉱山については、ほかのHPによると、尾平越トンネル手前約1.6kmのカーブあたりから、急斜面を500歩ほど下ると、「コウモリ坑」なるものがあるが、現在は鉄柵がありコンクリートで完全に塞がれていると記している。
私はこの日、夕方となりそんな元気はなく、間歩への降り口(カーブミラーがある多分、ここだろう)を確認しただけ。尾平越トンネル入口まで行って緒方町へ引き返した。

豊栄鉱山の間歩 ほうえい
豊後大野市 坑道 江戸期 市教委 山林内の各所に坑口が多数ある

尾平鉱山の間歩 おびら
豊後大野市 坑道 江戸期 市教委 山林内の各所に坑口が多数ある

健男社のスギと自然林  豊後大野市緒方町上畑 ( 大分県 )

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健男社のスギと自然林  豊後大野市緒方町上畑

豊後大野市HPの県指定文化財(天然記念物)による説明は、次のとおり。原尻の滝入口から県道7号により尾平越トンネルの方へ向かう。県道の傾山登山口の先に上畑健男社がある。

健男社のスギと自然林
健男社は上畑標高450mの山麓に位置する。参道には杉の巨木が並木をつくり、神殿の背後地にはモミの巨木を優占種とする自然林が残されている。近年林業開発により消滅のモミ林の貴重な残存林として学術的価値は高い。
所在地:緒方町上畑948-1  指定年月日:昭和52年3月31日

権 現 橋  緒方町上畑九折 ( 大分県 )

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権 現 橋  緒方町上畑九折

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。原尻の滝入口から県道7号により尾平越トンネルの方へ向かう。上畑健男社手前から傾山九折登山口へ入ると、その途中の奥嶽川に架かる。
登山口はかつて豊栄鉱山があった所で、そのための石橋だろう。現橋の左手、草むらの部分に確認できる。

№938  権現橋

緒方町上畑 九折
奥嶽川
橋長:22.5m  橋幅:4.5m  径間:   拱矢:
架設:昭和16年(1941)
犬返橋から県道7号線へ戻り、4.8Km南下。
九折方面へ左折、1.3Km先現橋の左手に架かっています。
下流側は深い谷で、どうやっても降りることはできません。
左岸上流側へ200mくらい進み、川へ降り、そこから下流へ歩いてこの場所へ出ます。
手前は現橋です。下流側から、かろうじて写っています。
現橋の左手、草むらの部分です。