月別アーカイブ: 2015年9月

瑞巌寺の切通し  九重町松木 ( 大分県 )

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瑞巌寺の切通し  九重町松木

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。JR豊後森駅から玖珠川沿いの県道678号を進む。龍門の滝への県道409号へ左折するとすぐに県道脇にある。
瑞巌寺磨崖仏のやや手前の岩場となり、かつてここに小さい瑞巌寺隧道があったが、県道拡幅工事で開削された。隧道以前の古道は、手前の民家裏から墓地へ上がると、墓地後ろに崖面の切通しが残っている。県道側は鎖で登っていたようだ。瑞巌寺隧道の当時の貴重な古写真は、この民家で写させてもらった。

瑞巌寺の切通し ずいがん
(玖珠)九重町 切通し 長約6m,高約4m 江戸期 WEB 通行困難な廃道 2 C

この項は、tunnel webの「瑞巌寺隧道」も参照。だが、遺産リストの対象は現在も残る「切通し」の方である。
http://www.tunnelweb.jp/kyushu/44oita/ob-road/zuiganji.html

瑞巌寺磨崖仏  九重町松木 ( 大分県 )

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瑞巌寺磨崖仏  九重町松木

大分県観光情報公式サイトによる説明は、次のとおり。JR豊後森駅から玖珠川沿いの県道678号を進む。龍門の滝への県道409号へ左折するとすぐに県道脇にある。
後ろの2枚は、すぐ先の岩面にあった二日市洞穴。

瑞巌寺磨崖仏

かつて、国東半島の六郷満山を開いたといわれる僧・仁聞が、養老年間(717〜723年)に創建したと伝えられる瑞巌寺は、天正年間 (1573〜1592)に大友氏の兵火にかかって焼失し、廃寺となって再建されないままとなっています。境内の高さ約2.3m、横約7.0mの凝灰岩の岩肌に、不動明王(ふどうみょうおう)を中心として、右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)・増長天(ぞうちょうてん)、左に制多迦童子(せいたかどうじ)・多聞天(たもんてん)の5体の磨崖仏が半肉彫りされており、平成12年度から3年をかけ、剥落防止や地衣類の除去などの保存修理が行なわれました。今もなお残るベンガラの鮮やかな赤が、往時の繁栄を物語っています。(大分県指定史跡)

製作年代 室町時代中期
所在地 玖珠郡九重町松木
最寄り交通機関 JR豊後森駅からバス20分「松ケ鼻」下車
問合せ先 九重町観光協会 0973-76-3866  九重町生涯学習センター 0973-76-3888

観音の滝  日田市天瀬町合田柚ノ木 ( 大分県 )

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観音の滝  日田市天瀬町合田柚ノ木 

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。国道210号により天瀬町へ向かい、その手前、JR豊後中川駅を過ぎた丸山バス停横にある。 

観音の滝 (大分県)
観音の滝(かんのんのたき)は、大分県日田市天瀬町にある滝。慈恩の滝、桜滝とともに天瀬の三瀑のひとつとされる。耶馬日田英彦山国定公園の指定区域内にある。

概要
落差12m幅4mの滝で、起伏のある滝壁に沿って滝水が何段にも流下する。滝壁の中央部の凹凸が観音菩薩のように見えることから観音の滝と呼ばれる。また、別名琵琶の滝(びわのたき)ともいう。
国道210号沿いに位置し、国道210号に並流する玖珠川に向かって流れ落ちる。上流の慈恩の滝から観音の滝までの玖珠川は奇岩が並ぶ渓谷をなし、三洲峡(さんしゅうきょう)と呼ばれる。
慈恩の滝、桜滝、観音の滝の三瀑に、赤岩滝(山法師滝)、楓葉の滝、夕日の滝を加えて天瀬六瀑と呼ばれることもある。

川原隧道前後の石畳・川原隧道  日田市天瀬町女子畑 ( 大分県 )

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川原隧道前後の石畳・川原隧道  日田市天瀬町女子畑

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。国道210号により天瀬町の方へ向かう。旧町境に境橋があり、手前から右折してさかえ保育園前を通って上がって行くと、「川原隧道入口」の案内板がある。石畳の坂道があり、約20分ほど山手へ登ると川原隧道に着く。

川原隧道前後の石畳 かわばる
日田市 <日田往還> 石畳道 天ヶ瀬側:長600m,日田側:長100m,幅1.5m 文政年間頃(1821-31) 県史跡 市教委/WEB 平成2の集中豪雨で石畳が20mにわたり崩壊→翌年度に修復 西国筋郡代・塩谷大四郎正義の命による日田往還改修に伴い川原隧道の前後に敷設された石畳(石敷による荷車等の通行改善が目的)/工事には豆田町の豪商・廣瀬久兵衛が協力 1 A

川原隧道 かわばる
日田市 <日田往還> 石合掌トンネル 長52m(実測値),幅2m,高3m 文政年間頃(1821-31) 県史跡/選奨土木遺産 市教委/WEB/馬場 合掌式の部分と素掘の部分がある/合掌式の部分の保存状態は非常に良い/WEBサイトによりトンネルの延長に様々な数値が記されているため、市教委が2013.10に再実測し公式値を再確認した 西国筋郡代・塩谷大四郎正義の命による日田往還改修に伴い築造された江戸期では稀な道路トンネル(トンネル化による距離短縮が目的)/開削時期を文政年間としたのは、この時期に塩谷大四郎正義が日田往還の改修を行ったとされているため/工事には豆田町の豪商・廣瀬久兵衛が協力/トンネル入口の石柱に「嘉永七年甲寅八月吉日 切抜之内甃寄附 豆田町 広瀬久兵衛 石工 中國助次郎」との刻銘あり、一般的には嘉永7(1854)を川原隧道の竣工年としている→塩谷大四郎正義(1836没)との関連が不明→「嘉永7」は、あるいは、素掘を合掌式に変更した年かもしれない、もしくは、坑口の門型の石材とその脇の石壁を構築した年かもしれない→石工は周防辺りの石工とされているが、周防には合掌アーチの技術は存在しない、従って、中國助次郎が素掘を合掌式に変更した可能性はない(管理者・馬場の意見)/全国で唯一の合掌構造の道路トンネル(水路トンネルでは熊本県の幸野溝・旧貫が唯一現存) 1 A

台神社前の石畳  日田市天瀬町女子畑 ( 大分県 )

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台神社前の石畳  日田市天瀬町女子畑

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。日田市小渕橋から県道674号により天瀬町女子畑へ向かう。廃校となった台小学校の後ろ側に台神社はある。

台神社前の石畳 だい
日田市 <日田往還> 石畳道 長約30m(現存部) 宝暦8(1758)以降 市史跡/歴史の道百選 市教委 日田往還はほとんどが石畳だったとされるが、台神社前は30mほどがCで固定されているだけ 3 –

桂 林 橋  日田市城町 ( 大分県 )

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桂 林 橋  日田市城町

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。豆田町の東側、城内川に架かっている。月隈幼稚園の手前、桂林園近く。下流の橋は最近のコンクリート橋のよう。

№1,046 桂林橋

日田市城町
城内川
橋長:6.4m  橋幅:0.65m
4径間桁橋
豆田町の東側、城内川に架かっています。
月隈幼稚園の西側、桂林園近くです。

小ヶ瀬井路の取入口跡と改修碑  日田市小ヶ瀬町 ( 大分県 )

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小ヶ瀬井路の取入口跡と改修碑  日田市小ヶ瀬町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。小ヶ瀬井路はこれまでふれてきた。私の現地写真はここでは、国道386号日田市小ヶ瀬町の小ヶ瀬橋先にある「小ヶ瀬井手取入口跡」及び「小ヶ瀬井路改修碑」を撮影している。

小ヶ瀬井路 おがせ
日田市 玖珠川→日田盆地 用水 長2754m 文政8(1825)→天保2(1831) 市教委 文政8(1825)竣工→文政11までに破損箇所の修復と拡張・延長→最終的に天保2に完成/玖珠川洪水による井堰の決壊により何度も損傷/護岸C改修 西国筋郡代・塩谷大四郎正義の命により、豆田町の豪商・廣瀬久兵衛と草野宗内が工事の実現性を調査、工事着工を進言/廣瀬久兵衛は、文政6(1823)から測量・実施設計に入るとともに、工事資金として周辺13村・郡内50余村からの出資・寄付を集めた/延べ3万人の人夫/全体の約1/3がトンネル/日田盆地の13ヶ村で120haの新田が創生→約1300石増加/塩谷代官と豪商・廣瀬のペアによる社会事業の第1号 3 B

日高町一帯の小ヶ瀬水路  日田市日高町 ( 大分県 )

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日高町一帯の小ヶ瀬水路  日田市日高町

小ヶ瀬水路の会所山隧道入口を探して、日田市日高町のJR九大本線の日高町踏切まで来ると、周辺案内図に水路が切れて記されていた。正しくはわからないが、このあたりのことだろう。
なお、水路の上流へ進むとJR線路下をくぐり、田の中を山手へ続き、素掘りトンネルで丘を越して、国道側へ出た。これから国道沿いに左道脇をくぐり、小ヶ瀬町の「小ヶ瀬井手取入口跡」まで続いていた。

筑後川の水刎  日田市日高 ( 大分県 )

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筑後川の水刎  日田市日高

国道386号の日田市日高「小渕橋」下流の筑後川右岸で見た水刎。古い石積みのようだが、文献不明で築造年代はわからない。

遺産サイト馬場先生の見解は、次のとおりだった。
「石刎は、江戸期のものは必ず石が組んであります。バラバラになっているものも、元は組んであります。川原の丸い石をそのまま積むことはまずありません。特に、小型の石刎の場合は。
ですから、昭和戦後のものだと思います。」

会所山の隧道  日田市小ヶ瀬井路 ( 大分県 )

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会所山の隧道  日田市小ヶ瀬井路

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。県道672号により日田市田島団地前バス停まで行くと、県道側に小ヶ瀬井路「堀貫口」見学路の入口案内板がある。

会所山の隧道 よそやま
日田市 小ヶ瀬井路 <石合掌トンネル(水路)> 長320m 文政8(1825) 市教委/WEB(みさき道人) 平成24の九州豪雨で被災→C改修→モニュメントとして2本のみ展示(1本が約500㎏)/坑口は修景改修 落盤、水漏れ、酸素不足に苦しめられた難工事→当時の記録に、石に穴を開け、その上からフイゴで風を送ったが内部は灯火がほとんど届かないほど濁っていた旨が記されている→こうした記録のあることが貴重 3 A