月別アーカイブ: 2012年10月

観 音 岩  高知県幡多郡大月町

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観 音 岩  高知県幡多郡大月町

大月町から県道43号柏島ニツ石線で行く。柏島の手前。展望所まで徒歩5分。
大月町HP観光案内は、次のとおり。

観 音 岩

紺碧の大海原にそびえたつ、観音様そっくりの姿をした30mの岩。寛永15年(1638年)、島原の乱鎮圧団の慰問使雨ノ森九太夫は帰途、傷が悪化、一条の光を頼りに寄港した柏島で息を引き取った。その際に光芒を発したと言われています。まさに聖域を思わせるこの観音岩は、その昔沖を航行する船に一条の明かりを送ったという伝説があります。

竜串海岸  高知県土佐清水市竜串

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竜串海岸  高知県土佐清水市竜串

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。

竜 串

竜串(たつくし)は高知県西部の足摺岬近辺にある奇勝。竜串海岸ともいい、土佐清水市にある。狭義では竜串のみを指し、広義では周辺の見残し海岸を含める一帯を指す。いずれも足摺宇和海国立公園に属する。
なお、名の由来は不明であり、竜を串刺したような景観から名付けられた説やアイヌ語に因む説、臥竜山の竜臥(たつふし)が転訛した説、など諸説が立てられている。

竜串の見所
竜串海岸
竜串の一帯は砂岩と泥岩の層が互いになっており、その層が波食、風食を受け形成されたもの。中でも一直線上に、丸みを帯びた節理が見られる大竹小竹は竜串を象徴する代表的なものである。他にしぼり幕、欄間石、蛙の千匹連れ、千畳敷などの名所がある。

見残し海岸
竜串から千尋岬を南下したところにある海岸。見残しという地名は弘法大師がこの景勝地を見残したことに因むと言われる。竜串層といわれる地層から成っており、砂岩、泥岩が長年の波食、風食作用によって岩肌に無数の襞と甌穴を生み出しているのが特徴。屏風岩がよく知られるほか、博打岩、人魚御殿などの見所がある。

自 然
この竜串・見残し一帯は化石の宝庫でもあり、貝類を始め、パイプと呼ばれる生痕化石が多く見られる。他に波食による漣痕も多く確認できる。

竜串海中公園
周辺の海域は竜串海中公園に指定されており、水中展望塔が設けられている。温暖なために珊瑚が棲息しているが、近年は海洋の汚染や白化現象などにより、個体数が激減、保存運動を呼びかけている。
また、入り江を利用して真珠貝の養殖も行われている。

落窪海岸の化石漣痕  高知県土佐清水市下益野

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落窪海岸の化石漣痕  高知県土佐清水市下益野

国道321号足摺サニーロード、土佐清水市下益野の落窪海岸。現地説明板は、次のとおり。

足摺宇和海国立公園  化石漣痕  −土佐清水市 落窪海岸ー

化石漣痕は波や水流の影響で水中の堆積物の表面につくられた凹凸が、そのまま地層面に残されたものをいい、昭和21年の南海道地震で隆起した落窪海岸から爪白海岸にかけての海食台(新第三系中新統の地層)に豊富に見ることができます。特に千尋岬(ちひろみさき)、竜串(たつくし)を中心とする地域の化石漣痕は、昭和28年11月、国の天然記念物に指定されており、地質学の研究を行ううえで貴重なものです。また、すぐれた自然景観を有する足摺宇和海国立公園の代表的景観となっています。…
平成6年8月   環境庁・高知県

松尾のアコウ自生地  高知県土佐清水市松尾

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松尾のアコウ自生地  高知県土佐清水市松尾

県道27号(足摺岬公園線)から松尾漁港へ下る途中の松尾天満宮にある。高知県HP「高知の文化財」による解説は、次のとおり。
現地訪問を忘れたため、画像は高知県から提供を受けた。

松尾のアコウ自生地

名称ふりがな まつおのあこうじせいち
指定等 国指定 記念物(天然記念物)  指定年月日 : 大正10年 3月 3日
所在地・所有者 高知県土佐清水市松尾 松尾天満宮境内 ・ 松尾部落
解 説         
松尾天満宮の境内に3株の大きなアコウがある。
そのうちの1本は、気根がイスノキに巻きついているが、アコウ、イスノキとも健在である。他の2本のうちの1本は、巻きつかれた木が枯死してしまって、アコウの木が空洞をつくった形になっている。
最大のものは、胸高周囲約9m、樹高約25mに達する巨樹である。
アコウは一応亜熱帯植物といわれているが、高知県の室戸岬や足摺岬周辺の海岸では所々で生育している。
アコウはその特異は気根の形態から、タコノキと呼ばれたり、また榕樹と書かれることもあるが、これらはいずれもアコウとは別の植物である。

金剛福寺  高知県土佐清水市足摺岬

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金剛福寺  高知県土佐清水市足摺岬

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。

金剛福寺

金剛福寺(こんごうふくじ)は、高知県土佐清水市にある寺院。蹉跎山(さだざん)、補陀洛院(ふだらくいん)と号す。宗派は真言宗豊山派 。本尊は千手観世音菩薩。四国八十八箇所霊場の第三十八番札所。境内には亜熱帯植物が繁っている。足摺岬の遊歩道付近には、ゆるぎ石、亀石、刀の石、亀呼び場、竜橙の松、竜の駒、名号の岩の「弘法大師の七不思議」の伝説が残されている。山号の文字「蹉」も「跎」もともに「つまづく」の意味で、この地が難所であったことを示している。
本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか
ご詠歌:ふだらくや ここは岬の 船の棹 取るも捨つるも 法のさだやま

沿 革
寺伝によれば、弘仁13年(822年)に、嵯峨天皇から「補陀洛東門」の勅額を受けた空海(弘法大師)が、三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇を建てて安置し開創したという。空海が唐から帰国の前に有縁の地を求めて東に向かって投げたといわれる五鈷杵は足摺岬に飛来したといわれている。
歴代天皇の祈願所とされたほか、源氏の信仰が篤く、源満仲は多宝塔を寄進、その子頼光は諸堂を整備した。平安時代後期には観音霊場として信仰され、後深草天皇の女御の使者や和泉式部なども参詣している。

鎌倉時代後期(建長から弘安期)には南仏上人が院主となって再興したと伝えられ、また阿闍梨慶全が勧進を行ったとも伝えられている。南仏を「南仏房」と記す史料もあり、南仏(房)は慶全の別名であったとみられる[1]。
室町時代には尊海法親王が住職を勤め、幡多荘を支配していた一条家の庇護を受けた。戦国期に一時荒廃したが江戸時代に入っても土佐藩2代藩主山内忠義が再興した。

境 内
山門を入ると左手に弁財天、不増不減の手水鉢、鐘楼がある。右手の納経所を過ぎ、正面奥に本堂が建てられている。本堂より右のほうに不動堂、多宝塔があり、その先に和泉式部の逆修塔がある。本堂左手の池の畔を行くと愛染堂、権現堂、行者堂があって大師堂に至る。本堂前の池の前には奉納された所願成就の亀の像が安置されている。

白山洞門  高知県土佐清水市足摺岬

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白山洞門  高知県土佐清水市足摺岬

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。
最後の写真は、県道27号線脇の展望所(万次郎足湯 無料)から望む。

白山洞門

白山洞門(はくさんどうもん)は、高知県土佐清水市足摺岬にある海蝕洞である。高知県の天然記念物に指定されている。

概 要
足摺岬の西方にある。花崗岩で形成された岩盤が波の浸食により洞門となった。足摺岬周辺には海蝕洞が数多く見られるが白山洞門が最大規模である。高さ16m、幅17mで花崗岩の海蝕洞では日本一の規模であるとされる。昭和28年(1953年)1月16日に高知県の天然記念物に指定された。

高知県道27号線脇の展望所から眺めることが出来る。また、洞門近くまで遊歩道が整備されており間近に見ることも出来る。
岩峰の頂上には白山神社が祀られているが、上部は岩場となっており、手摺や鎖場は設けていないため遊歩道脇にある鳥居より遙拝することを呼びかけている。

足 摺 岬  高知県土佐清水市足摺岬

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足 摺 岬  高知県土佐清水市足摺岬

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。

足 摺 岬

足摺岬(あしずりみさき)は、高知県南西部土佐清水市に属し、太平洋に突き出る足摺半島の先端の岬。足摺宇和海国立公園に指定されている。
北緯32度43分24秒、東経133度1分12秒。付近にはこれより低緯度にも小島が散在し、四国本島としても、長碆(ながはえ)地区等の存在から、実際にはわずかに四国最南端ではないが、一般には四国最南端の地(岬)として認識されている。

足摺崎の読みは本来「あしずりざき」が正式呼称であったが、観光地化の進展に伴い論議を経て通称の「あしずりみさき」が正式呼称となった。
高知県を代表する観光地の一つで、JR四国・土佐くろしお鉄道の特急「あしずり」にもその名が採られている。

地 誌
足摺半島南東端に位置、黒潮の打ち寄せる断崖は約80mの高さをもつ。周囲はツバキ・ウバメガシ・ビロウ等の亜熱帯植物が密生。沖合いはカツオの好漁場。一方で台風銀座でもあり、しばしば暴風に見舞われる。

足摺半島西岸、中浜の漁師であり、幕末の政局に大きな役割を果たしたジョン万次郎(中浜万次郎)の銅像が立つ。万次郎の遺品や当時の捕鯨・航海についての資料を展示した「ジョン万ハウス」も、岬から500m西に設置されていたが、建物の老朽化により、2006年(平成18年)4月、あしずり港内にある「海の駅」2階へ、同ハウスにあった観光案内所は足摺岬展望入口に移転した。

各所からは日の出、日の入りが一望できる。明るく温暖な南向きの岬である。「自殺の名所」と言う暗いイメージは田宮虎彦の小説「足摺岬」に拠る所が大きく、有名になった反面、マイナスのイメージが生まれてしまった。

信 仰
南方にある浄土へ渡るという「補陀洛信仰」(→補陀洛山寺)の舞台であり、中世には紀伊(和歌山県)の那智勝浦と並ぶ、「補陀落渡海」の船の有名な出発地であった。田宮虎彦の小説「足摺岬」はこうした歴史を背景とした作品である。この小説をきっかけに、自殺が急増した時期があり「ちょっと待て、もう少し考えよ」という自殺防止用の看板が立てられた。

歴 史
・1914年(大正 3年) – 足摺崎灯台が点灯
・1955年(昭和30年) – 足摺岬国定公園に指定
・1965年(昭和40年) – 「足摺崎」から「足摺岬」へ改称
・1972年(昭和47年) – 足摺宇和海国立公園に指定変更

入野海岸  高知県幡多郡黒潮町

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入野海岸  高知県幡多郡黒潮町

四国ツーリズム創造機構サイト「巡るめく四国」による解説は、次のとおり。

入野海岸 
長さ約4㎞・幅約200mの広大な砂浜を持つ、日本の渚百選にも選ばれた海岸。そこに存在する自然や人すべてが作品であるという「砂浜美術館」構想を掲げ、約1,000枚のTシャツを砂浜に展示する「Tシャツアート展」や、砂浜をはだしで走る「シーサイドはだしマラソン全国大会」、「潮風のキルト展」など年間通じて多くのイベントが行われる。砂浜の背後にはキャンプ場もあり、夏にはサーフィンなどのアウトドアを楽しむ観光客で賑わう。
所在地 高知県幡多郡黒潮町入野
アクセス 須崎ICより車で約70分、土佐くろしお鉄道土佐入野駅より徒歩10分

四万十の檜仙人  高知県四万十市西土佐

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四万十の檜仙人  高知県四万十市西土佐

四国森林管理局HP「森の巨人たち100選」管内にある7箇所の紹介による解説は、次のとおり。江川崎から国道441号へ入り、西土佐大橋の方へ渡る。カヌー館の所の四万十パーク案内マップの横に、「四万十の檜仙人」の案内図があるそうが、見落とした。

藤ノ川入口から未舗装林道を、堂ヶ森(標高857m)の山頂近く「西土佐郷土の森」へ延々と上がる。駐車場から堂ヶ森登山道を尾根東屋まで10分ほど登ると、すぐ先に「四万十の檜仙人」が立つ。一般公募の名称。近くの切り株の方が大きかった。

76.四万十の檜仙人

幹周り 333cm
樹高 33m
樹齢 200〜290年
所在地 高知県四万十市西土佐

「四万十の檜仙人」は西土佐郷土の森に指定されている国有林にあります。
登山口には案内板が設置されており、遊歩道を登って行くと東屋があり、周囲には巨大な天然ヒノキの群落が現れ、時代を遡ったような感じがします。
近くには、人々の信仰を集めた霊山・堂ヶ森もあります。

西土佐郷土の森
四万十川流域に住む人々から親しまれてきた天然ヒノキの名林を後世に引き継ぐため、平成3年4月に「西土佐」郷土の森として、四国森林管理局と四万十市西土佐との間で保存協定が締結されました。
また、隣接する「若人の森」とあわせて、林内には歩道、休憩所が整備されており、森林浴などの散策に最適です。

下津井めがね橋  高知県高岡郡四万十町

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下津井めがね橋  高知県高岡郡四万十町

現地説明板の「めがね橋の歴史」、及び四万十町HP「四万十町所有文化財情報」歴史・文化2による解説は、次のとおり。

めがね橋の歴史
めがね橋は昭和16年〜19年のダム建設での軌道の敷設替により電力側で建設した物で、もとの軌道は橋脚部を通っていた。橋の完成は昭和19年と思われる。高さは約20m、橋の幅は2mほどである。
この橋は当時の橋としては営林署の最高の土木技術を駆使して作り上げられた自慢の橋であったので、その美しい景観は町民の人々の誇りであり、親しみを込めてめがね橋と呼ばれている。

下津井めがね橋
所在地 高知県高岡郡四万十町下津井
下津井は山に囲まれ、緑に包まれた閑静な郷です。梼原川のそのまた小さな枝流、払川に架かるのが佐川橋、通称「下津井のめがね橋」。津賀ダムの湖畔に映る姿が眼鏡のように見えることからこう呼ばれています。
橋は、かつて林業がさかんだった頃走っていたトロッコ列車の軌道橋として昭和19年頃完成したものと思われます。郷愁を誘う橋桁の優雅な曲線は、土地の風景にすっかりとけ込んで、ノスタルジックな姿を今も留めています。
また、県の近代化遺産にもなっています。