月別アーカイブ: 2008年4月

東漸寺のクスノキ  佐世保市中里町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

東漸寺のクスノキ  佐世保市中里町

国道204号線により瀬戸越を通って行く。佐々町と上相浦の国道分岐に相浦川の中里橋があり、川向いに中里小学校が見える。中里橋へ左折して渡り、近くの交差点から中里小学校まで行き、学校の西側から校舎の裏を回り、背後にある東漸寺に着く。

または上流の中里中学校の方から入る。道はわかりにくく狭いから要注意。大クスは県指定天然記念物。Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

東漸寺の大クス

佐世保市中里町にある。樹高さ20m、幹周り7.2mあり、樹齢およそ500年。昭和45年に県の天然記念物に指定された。
東漸寺はもとは岩間山にあったが、火災にあい明応3年(1495年)に僧教意がこの地に再建した。松浦家の祈願時や相神浦七ヶ村の郷寺であった。

佐須神社のマキノキ  佐世保市高梨町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

佐須神社のマキノキ  佐世保市高梨町

佐須神社は佐世保市佐須町でなく、町境近く高梨町にある。国道35号線本島町交差点から右折。佐世保市体育文化会館を回り北角から、奥の谷間へ行く道に入る。
高梨町の入口に佐須神社の赤い鳥居があり、マキノキがひときわ高く木立の上に見える。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

須佐神社の大マキ

佐世保市・高梨町の須佐神社にある。樹齢およそ400年。
慶長2年(1597年)、秀吉朝鮮出兵の時、平戸藩主・松浦肥前守隆信も出兵。同年8月、戦勝奉告の記念に、このマキを植えたとのこと。

三川内山の早川小学校跡に残る小さなアーチ石橋  佐世保市塩浸町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

三川内山の早川小学校跡に残る小さなアーチ石橋  佐世保市塩浸町

平成20年4月12日、佐世保市三川内山の石橋を訪ねた。陶芸の里「三川内皿山」はJR三河内駅手前、国道35号線三川内山入口交差点から右折し、奥の谷間へ入る。
三川内山の石橋は、「三川内山」バス終点児童公園下の川に残り、すぐ手前の路地から右へ下る。陶石色の見事なアーチ石橋である。

これと別に私が見かけた小さな石橋は、国道から皿山へ行く中間くらいの所。市立三川内山保育所とバス停がある。この手前右方の3軒の民家へ車道からコンクリート舗装道が下って上がっている。道が小川を跨いでいるので、皿山の帰りに寄って調べてみた。
写真のとおり可愛いアーチ石橋が残っていた。上にコンクリートが塗られている。左面から見えるが、右面からは拡幅されて確認できない。幅2m、長さ1mほどの小橋。
礎石や石の組み方からアーチ石橋としてカウントできないかも知れないが、石橋があった報告をしてみたい。

橋の道は、上の2軒の邸宅の登り口。事情を手前の林田宅へ聞いてみた。この高台は今は家と庭畑となっているが、実は三川内小学校発祥之地「早川小学校跡」である。
昭和49年2月、創立100周年を記念し山口造園代表取締役山口廣夫氏が寄贈した記念碑があり、早川小学校がここにあったのは、「自 明治十二年三月 至 明治十九年九月」と刻んでいた。左への道奥木立には祠が祀られていた。

どうやら石橋は、早川小学校創立時に造られた学校正門口の橋のようであり、小さいながら地元三川内山の貴重な歴史を残した橋ではないだろうか。
なお、最後の2枚の写真は、バス終点の「三川内山案内」と、すぐ近くこれまで紹介されている「三川内山の石橋」。

子安観音のクスノキ  佐世保市有福町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

子安観音のクスノキ  佐世保市有福町

佐世保市有福町にある。県指定天然記念物。国道202号線で早岐瀬戸の観潮橋を渡るやや手前となる有福交差点から左折。針尾バイパスのガード下をくぐった上有福バス停先である。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

子安観音の大クス

佐世保市・有福町にある。樹高23m、幹周り8.3m。樹齢500年。幹は7本に分かれているが、数百年前に切られたが、その後、芽が出て現在の姿になったと伝えられている。
樹下にある三界万霊の碑は、文化4年(1807年)に疫病が流行ったときに建立されたらしい。昭和45年、県の天然記念物に指定された。

岩屋山から稲佐岳への縦走  平成20年4月

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

岩屋山から稲佐岳への縦走  平成20年4月

平成20年4月13日(日)曇一時小雨。岩屋神社から岩屋山(標高475.2m)に登り稲佐岳への尾根縦走。参加9人。
道の尾西友前9時半発−岩屋神社−岩屋山(昼食)−九州自然歩道−小江原−小江原尾根−稲佐山公園−渕町16時着。

このところ雨で流れた例会が多く、久し振り歩いて3人に足の痛みがあった。小江原尾根の防火帯は草刈りされていて歩きやすかった。稲佐山公園のつつじが一部咲きかけていた。

伊王島のアコウ  長崎市伊王島町2丁目

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

伊王島のアコウ  長崎市伊王島町2丁目

長崎市伊王島町は、長崎港のすぐ沖合に南北に連なる丘陵状の2つの島、伊王島と沖之島からなる。アコウの巨樹は沖之島教会の先となる高台に立っている。
クワ科の亜熱帯高木。伊王島では防風林として植えられている。海側に無数の木根を垂らし、葉の繁った時期は壮観であろう。

同教会近くの斜面にはエノキなどの大木が見られ、伊王島港から海水浴場へ至る道路には、ナンヨウスギ科のアローカリアが街路樹として植えられている。
伊王島灯台周辺にはキイレツチトリモチが群生し、市指定天然記念物となっている。

沖之島の風景  長崎市伊王島町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

イメージ 20

イメージ 21

イメージ 22

イメージ 23

イメージ 24

沖之島の風景  長崎市伊王島町

平成20年4月11日、長崎港外の伊王島へ行く。リゾートの島。高速船で19分。やすらぎ伊王島の天然温泉入浴券と往復乗船券の日帰り温泉プランで980円。伊王島町は伊王島と沖之島で成る。
伊王島は前に紹介しているので、今回は沖之島の一周コース約4kmを歩いた。沖之島教会・アコウの巨樹・建設中の伊王島大橋・畦の岩這・乗越トンネル・やすらぎ伊王島温泉の風景。

円応寺のアーチ型石門  武雄市武雄町大字富岡  

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

円応寺のアーチ型石門  武雄市武雄町大字富岡

武雄市武雄町大字富岡にある円応寺は、武雄鍋島家の菩提寺で由緒ある寺。見事なアーチ型石門があるので、平成20年4月8日に訪ねてみた。桜が満開だった。
武雄温泉の奥となるが、国道34号線白岩球場入口交差点から武雄市総合庁舎の方へ曲がり、JR佐世保線踏切を渡って、まっすぐに赤穂山トンネルを越し伊万里方面へ行く県道53号線に入った方がわかりやすい。

国道から10分ほどで途中右手に、特徴のある門と参道が見える。駐車場は上にある。円応寺アーチ型石門の現地説明板は次のとおり。
なお、長崎県の石門は、fwd−net長崎・諫早HP「長崎県の石門を訪ねて」があり、詳しく調査されている。
円応寺アーチ型石門

アーチ部分は、下から八段目から切石を組み合わせており、最上部には、幅の狭い切石があります。
正面のアーチ上部中央には「西海禅林」と記す扁額石があります。この字は、第二八代武雄領主鍋島茂義が1一六歳の時に書いたものだと言われています。
規模は、幅四・八五m、厚さ〇・九七m、高さ四・一七mで、屋根は切妻になっています。
建立年代は、背面向って右の銘文より「文化十四年」(一八一七)になります。
この種の門としては、長崎県の三か所が知られていますが、アーチの組み方が円応寺アーチ型石門とかなり異なり、かつ、屋根もかなり簡略化されており、これ程整ったアーチ型石門は、他にあまり見当たらなく、建立年代もはっきりとしており、石造建築史上価値が高いものです。
平成五年四月三十日 武雄市 重要文化財(建造物)指定