長崎堤防 薩摩川内市高江町
土木学会HP「選奨土木遺産」による説明は、次のとおり。現地説明板は写真のとおり。
名 称 長崎堤防 ながさきていぼう
所在地 鹿児島県/薩摩川内市
竣工年 貞享4年(1687年)
選奨年 2011年 平成23年度
選奨理由
暴れ川であった川内川左岸に位置する高江町に300haの水田を誕生させた土木工事の輝かしい成果を誇る堤防で、その形状は鋸の歯型というユニークさが際立っている江戸時代の土木遺産であります。
長崎堤防 薩摩川内市高江町
土木学会HP「選奨土木遺産」による説明は、次のとおり。現地説明板は写真のとおり。
名 称 長崎堤防 ながさきていぼう
所在地 鹿児島県/薩摩川内市
竣工年 貞享4年(1687年)
選奨年 2011年 平成23年度
選奨理由
暴れ川であった川内川左岸に位置する高江町に300haの水田を誕生させた土木工事の輝かしい成果を誇る堤防で、その形状は鋸の歯型というユニークさが際立っている江戸時代の土木遺産であります。
薩摩街道渡唐口 薩摩川内市向田町
HP「ふるさと薩摩川内」による説明は、次のとおり。現地説明板は写真のとおり。
薩摩街道を歩く会 (2010.8・1)
8月1日、日曜日、午前7時。薩摩川内市向田の川内川渡唐口には、約120人の人々が集まっていました。
太平橋近くの向田渡唐口を中心とする上・下流約1.1kmの堤防では、このほど従来の堤防を補強して大きな洪水にも耐えるための工事が行われました。渡唐口は、古くから川内川の渡し船や海からの船の船着場であったため、その頃をイメージするものに復元されたのです。
この日は、この堤防の完成を記念して、薩摩街道保存会の主催による川内川以北の「薩摩街道出水筋を歩く会」が開催されました。
渡唐口は薩摩街道出水筋の重要な拠点のひとつで、ここから対岸の渡瀬口に船で渡り、大小路町、上川内町を経て現在の高城町、陽成町、湯田町、西方町から阿久根市へと北上していました。
ここ渡唐口河畔の向田町(むこうだまち)には、江戸時代薩摩藩の地頭仮屋(御仮屋)が置かれ、参勤交代時の藩主の宿泊所のほか通常は隈之城郷(当時は隈之城郷であった。)の郷士の行政執務役場となっていました。残念ながら地頭仮屋があったとされる場所は、現在のこの河川敷の場所で、当時は川が今よりもかなり狭く、川沿いに直接堤防というか高い石垣の波止場があったようです。明治以降の度々の堤防工事で堤防が次第に陸側に拡張されたようです。
御仮屋の前には、御仮屋馬場が通り、その周辺には上納米を保管するための倉庫が置かれ、商業の中心地であったため、旅館や問屋、小間物屋などもおかれ、現在の薩摩川内市地域最大の商店街(野町)として繁栄していたといいます。
▲完成した太平橋上流の堤防。渡唐口の部分だけは昔のイメージの石を使っています。
▲7時30分頃新しい堤防から太平橋を渡り大小路へ いざ出発 ここから西方町へおよそ16km
川内川のこの付近に橋が出来たのは、明治8年のことで、これが初代の太平橋です。ですからそれまでは、向田と大小路との往来は船で行っていました。この近くには相当の船だまりが出来ていたことでしょう。
耳切坂と石畳 薩摩川内市陽成町
サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。画像を撮影するため、現地を訪ねた。
「さつま街道(出水筋) 江戸時代参勤交代の道路」図は、薩摩川内市陽成地区コミュニティセンターからの入手資料。「耳切坂」の表示がないが、「西郷腰掛石」のすぐ南側の坂である。
車だと県道340号妙徳寺の少し手前から車道奥の川に見えるポンプ小屋を目指すと、その背後あたりとなる。
耳切坂と石畳 みんきい
薩摩川内市 <出水筋(薩摩街道)> 道路、石畳道 江戸期 WEB 旧道の雰囲気がよく残り、石畳の保存状態も良好
陽成町の石敢当と田の神 薩摩川内市陽成町
「陽成小学校百周年記念誌」昭和56年3月発行の186頁の説明は、次のとおり。所在図3も同173頁から。
石敢当については、記念誌に当時の写真を掲載する7「宮小平の石敢当」は、薩摩川内市陽成地区コミュニティセンターにも調べてもらったが、所在がわからなかった。16「本川の石敢当」のみ載せる。
田の神については、順に17「本川の田の神」、8「妙徳寺前の田の神」、6「宮小平麦之浦川土手の田の神」の写真。いずれも一石双体。年代不詳。
4 校区の歴史 3 記念碑や石像
(7)石敢当
陽成町には石敢当が2か所あります。中国にならったもので、魔よけとして造りました。当地ではツッキャタイドンといって、三叉路の突き当りに置いてある石塔です。
宮小平の石には「石敢当」と彫りこみ「元年」と「酉」とがわかりますから、文久元年(1861)の作のようです。本川の石には「石敢當」と彫り、年代はないが同じ頃の作のようです。
昔中国に石敢当という豪傑がいたので、石にその名を彫刻して、ここには石敢当が居るから来てはいけないと悪魔の侵入を防ぐために作ったものだそうです。
西郷隆盛愛好の湯川内高城温泉郷 薩摩川内市湯田町
ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。
川内高城温泉
川内高城温泉(せんだいたきおんせん)は、鹿児島県薩摩川内市湯田町(旧・薩摩国高城郡高城郷湯田村)にある温泉。
近年までは川内温泉、あるいは高城温泉と呼ばれていたが1967年に統一。また湯川内(ゆごうち)温泉と呼ばれていた時期もある。鹿児島県最古の温泉であるとされている[1]。
歴史
歴史は非常に古く、鎌倉時代にまで遡るといわれるが、発見者も外国人宣教師、近郷の住人「大谷某」など諸説紛々としている。明治時代には西郷隆盛が狩りの途中に何度も立ち寄ったといわれ、隆盛ゆかりのエピソードが多い。
泉質
単純硫黄泉 pH9.8とアルカリ度は高い。
温泉街
海岸線沿いの山間にあり、素朴な温泉宿と昔懐かしい土産物屋が軒を並べ、まさに鄙びた温泉といえる。名湯百選にも選ばれたことで有名になり、この昔ながらの温泉情緒に惹かれて訪れるリピーターも多い。宿泊施設の半数は自炊宿で、湯治、保養向けである。
鹿児島県のアーチ式石橋 上湯田橋 薩摩川内市湯田町
HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」によるデータは、次のとおり。
№1,119 上湯田橋
薩摩川内市湯田町
湯田川
橋長:12.6m 橋幅:4.1m 径間:10.9m 拱矢:3.6m
架設:大正8年
国道3号線佐山トンネルを出て、1.1Km北、湯田小学校入口から右折。3.6Km先に架かっています。
菅原神社と御神木(「しろたぶ」の木)の由来 薩摩川内市湯田町
現地説明板は、次のとおり。多分、この幼木だろう。
菅原神社とご神木(「しろたぶ」の木)の由来
菅原神社は、菅原道真公の御徳を偲び、貞治3年(正平19年)今から650年程前、この地に当時の城主高城左衛門尉重躬が神社を創建し、菅公の銅像を安置して之を祀り、別に銅像50体を設けて公の従行の人を配祀する外、田2町6反を配祀料にすると高城村沿革誌に記され、湯田では最も古い神社です。
菅原神社の「しろたぶ」の木は、その御神木として地域の盛衰を見守ってきましたが、老樹ゆえ樹勢が衰え、平成5年ついに600年余りの天寿を全うしました。
この「しろたぶ」の木は、これを惜しまれた松下末治氏が、根に生えてきた芽を大事に育てられていた幼木を、平成7年11月吉日高城西中PTA会長切通幸生氏外会員の手で当地に移植されました。菅原神社は明治14年他の2社と共に諏訪神社に合祀されましたが、この御神木(「しろたぶ」の木)は、神社創建のこの地で、御神木2世としていつまでも地域の幸せを見守りつづけてもらいたいと思います。
高城西中学校長 高城西中学校PTA 湯田地区きらめき事業
鹿児島県のアーチ式石橋 峠路の石橋 薩摩川内市湯田町峠路
HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」によるデータは、次のとおり。これより4年前、「薩摩街道を歩く会」
2010年8月記事にも偶然、写されていたが、薩摩街道の橋ではない。川向い奥にある今は廃家への道に架けられた石橋のようである。
№7,379 峠路の石橋
薩摩川内市湯田町 峠路(とうげじ)
橋幅:1.8m 径間:1.82m 拱矢:1.0m 環厚:33㎝
輪石:13列
この辺でUターンしようと思います。川が横切っているので念のため確認。
な、なんと藪の奥に輪石が見えているではないですか!
藪払いが楽しみです。
1週間ぶりの訪問。今回は陽成町からアクセス。
この道の奥が気になっていました。廃屋がありました。
薩摩藩公御茶屋跡の碑 薩摩川内市陽成町 陽成小学校
「陽成小学校百周年記念誌」昭和56年3月発行の187〜188頁の説明は、次のとおり。
4 校区の歴史 4 西南戦争 (1) 江戸時代の街道と射場
堂之尾から一条坂まで
…県道を北上して本川から中麦に進みます。妙徳寺を右に見て進みますと、白壁の土蔵のある旧家山本氏宅の高い石垣の下を通り、宮小平に入り旧高城村役場を通って陽成小学校に着きます。校庭に藩公御茶屋跡の碑があります。薩摩藩主島津氏が休憩した場所といわれます。徳川幕府の命令で参勤交代をした頃の通り道(今の国道)であったわけです。学校の北に招魂社があります。…
紫尾山のアカガシ 出水市大字武本 上宮岳国有林
HP「九州の巨樹・巨木たち」による説明は、次のとおり。林野庁の巨木百選に選ばれたこの「紫尾山のアカガシ」は、平成16年8月の台風で倒壊。その現況を確認に行った。
場所がわかりにくいが、上宮神社から周辺を一周する遊歩道の木道跡があるので、丹念にたどると着く。
紫尾山のアカガシ
所在地 : 鹿児島県出水市大字武本、上宮岳国有林
樹齢 : 200年 樹高 : 20m 幹回り:4.5m
森の巨人たち百選
鶴の飛来地で知られる出水市と薩摩郡宮之城町との境界に北薩摩の名峰「紫尾山(1067m)」があります。
北薩地方では唯一つの1000mを越す山で、八合目付近から山頂にかけては、ブナやアカガシ、ウラジロガシ、イスノキなど豊富な自然林が残され、現在、県立自然公園 「紫尾山広葉樹の森」として整備されています。
林野庁の巨木百選に選ばれたこの「アカガシ」は、登山道途中の九合目近く、上宮神社から少し登った道左手100m (車道からは上宮神社鳥居から神社への道を少し下った右手100m)の所に武骨な木肌を見せ、森の主のような顔をして立っています。
付近一帯はブナやアカガシの巨木が目に付きますが、一方ブナなどの老齢巨木の倒木も数多く見受けられ、世代交代が進んでいるようにも見受けられます。 (ブナ科常緑高木)
ブログはしばらくご無沙汰でした。前回の鹿児島県は、後半が雨にたたられ、いったん帰崎。未訪問のところと調査もれのめぼしいところを訪ねるため、台風が去った10月14日から20日まで、再び鹿児島県へ出かけた。以下、順序をおってその記事を載せる。