九州(熊 本 県)」カテゴリーアーカイブ

熊本県のアーチ式石橋  機織(はたおり)橋  美里町岩野

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熊本県のアーチ式石橋  機織(はたおり)橋  美里町岩野

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。

№245  機織(はたおり)橋

美里町(旧中央町)岩野
釈迦院川
橋長:15.0m   橋幅:3.65m

国道218号線を中央町佐俣より国道443号線へ入り、約2Km先、旧国道の橋。

この橋は今まで何度となく通りました。石橋だとは気づきませんでした。二俣一号橋、年禰橋の上流になります。下流側に新橋が架かりました。おかげでよく観察できます。

熊本県のアーチ式石橋  小筵二俣目鑑橋・二俣福良渡目鑑橋  美里町小筵

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熊本県のアーチ式石橋  小筵二俣目鑑橋・二俣福良渡目鑑橋  美里町小筵

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。
国道の新「年禰(としね)橋」から2つの石橋を望むと、眼下に見え絶景ポイントとなるが、写し忘れた。

№50  小筵二俣目鑑橋

美里町(旧中央町)小筵
釈迦院川
橋長:28.0m  橋幅:3.3m  橋高:8.0m
架橋:文政12年(1829)
石工:嘉八

国道218号線を旧豊野町から旧中央町へ入り、国道443号線と交わる大きな交差点から左折し、すぐに果物屋さんから右折、突き当たり。

小筵二俣目鑑橋
「釈迦院川と津留川の合流点に連なって架かるこの橋は文政 年種山村の石工嘉八によって架けられたものである。嘉八は矢部町の通潤橋の架橋で知られる丈八(橋本勘五郎)の父で、現在の八代郡東陽村の人である。この二橋は、矢部・砥用方面と松橋方面及び甲佐方面を結ぶ重要道路が交差する要所であり景観も良く往来する人々の良き休憩所となっていた。このニ橋の特徴は二つの川に直角に架けられて通っていることと下記の長さ・幅・高さが殆んど同じということであり別名『双子橋』とも呼ばれている。」

№51  二俣福良渡目鑑橋

美里町(旧中央町)
津留川
橋長:27.0m  橋幅:2.5m  橋高:8.0m
架橋:文政13年(1830)
石工:嘉八

国道218号線を豊野町から中央町へ入り、国道443号線と交わる大きな交差点から左折し、すぐに果物屋さんから右折、突き当たり。

二俣福良渡目鑑橋
「釈迦院川と津留川の合流点に連なって架かるこの橋は文政 年種山村の石工嘉八によって架けられたものである。嘉八は矢部町の通潤橋の架橋で知られる丈八(橋本勘五郎)の父で、現在の八代郡東陽村の人である。この二橋は、矢部・砥用方面と松橋方面及び甲佐方面を結ぶ重要道路が交差する要所であり景観も良く往来する人々の良き休憩所となっていた。このニ橋の特徴は二つの川に直角に架けられて通っていることと下記の長さ・幅・高さが殆んど同じということであり別名〚双子橋〛とも呼ばれている。」

熊本県のアーチ式石橋  年禰(としね)橋  美里町小筵

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熊本県のアーチ式石橋  年禰(としね)橋  美里町小筵

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。

№49  年禰(としね)橋

美里町(旧中央町)小筵
釈迦院川
橋長:60m  橋幅:5.8m  橋高:24m
4連アーチ
架設:大正13(1924)年

国道443号線と国道218号線が重なる区間のほぼ中央に大きな橋があり、これと平行に架かっていますが注意しないと通り過ぎてしまいます。
二俣橋から見上げる。右は国道の現橋。3連だとばかり思っていました。4連です。

大木・岩?  山都町鶴ヶ渕付近

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大木・岩?  山都町鶴ヶ渕付近

鶴ヶ渕バス停付近で古写真「肥後矢部の製材所」の確認を終え、美里へ県道153号で下りかけた。緑川対岸のピークは鬼が城。その右方背後の遠い稜線上に、高い突起が見えた。大木と思われるが、何か調べていない。

熊本県のアーチ式石橋  えのは橋  山都町白藤

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熊本県のアーチ式石橋  えのは橋  山都町白藤

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。
鮎の瀬大橋の下流「猿が城キャンプ村」内の緑川引込水路にある。6〜8枚目は、えのは橋下流の桁橋。コンクリート製か。

№2,442  えのは橋

山都町(旧矢部町)白藤
緑川引込水路
橋幅:2.47m  径間:4.5m  拱矢:2.25m  環厚:45cm
架設:平成7(1995)年
施工:尾上建設㈱

鮎の瀬大橋から俯瞰できる。左岸側がえぐられています。

猿が城キャンプ村  山都町白藤

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猿が城キャンプ村  山都町白藤

山都町観光ナビ > 観光マップ による説明は、次のとおり。鮎の瀬大橋から下って行った。
私の目的は、本ブログ次を参照。古写真「肥後矢部の製材所」の現地確認と、次の記事とするキャンプ村内石橋の撮影だった。  https://misakimichi.com/archives/3980

猿が城キャンプ村

〔 所在地 〕 熊本県上益城郡山都町白藤403-1
〔 時間/定休日 〕 4月から11月オープン
〔 利用料金 〕 入村料:200円(中学生以下100円)
バンガロー:6,300円(4人用)から  常設テント:3,675円  テント持込:525円
〔 駐車場 〕 あり
〔 交通アクセス 〕 道の駅「通潤橋」より「鮎の瀬大橋」、県道153号を経由し、約5km(約20分)。

鮎の瀬大橋から川をのぞき込むと下流側の谷深い緑川の渓谷にこのキャンプ場があります。ここでは都会の方には特に、日常とは全くかけ離れたキャンプを満喫できます。バンガロー7棟、常設テント3張り、貸しテントもあります。

鮎の瀬大橋  山都町菅

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鮎の瀬大橋  山都町菅

山都町観光ナビ > 観光マップ による説明は、次のとおり。

鮎の瀬大橋

〔 所在地 〕 熊本県上益城郡山都町菅488-1
〔 駐車場 〕 あり(30台)
〔 交通アクセス 〕 道の駅「通潤橋」より「あぐりろーど鮎の瀬」を経由して約5km(道路沿いの案内を参考にして下さい)約10分。
〔 備 考 〕 平成11年完成  高さ140m、長さ390m

平成11年、緑川をまたぐ、山都町菅(すげ)地区と白藤地区を結ぶ農免道路整備事業(あぐりろーど鮎ノ瀬)の一環として開通しました。「くまもとアートポリス」プロジェクトによるデザインで、高さ140m、長さ390mのY字橋脚と斜張橋との複合型のとてもめずらしい橋です。橋の上やたもとからは緑川の渓谷の風景を眺めることができます。橋のたもとには「鮎の瀬交流館」があり、地元菅地区でとれた新鮮な野菜・良質の米・加工品などの販売を行っています。

熊本県のアーチ式石橋  遊水橋・踊水橋  山都町城原

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熊本県のアーチ式石橋  遊水橋・踊水橋  山都町城原

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。
「種山石工技術継承講座」によって新しくできた橋。通潤橋史料館に展示写真があったので訪ねた。実習場は通潤橋の東方にある。矢部高校前通りを東進、次の畑バス停先の突当りは右折して行くと、緑地広場へ下る案内標識がある。駐車場の下側が実習広場。
ここでは2橋のようだか、最近また完成したのか、手前にも新しい橋(写真6)があった。

№6,239  遊水橋

上益城郡山都町城原 岩立
橋幅:1.8m  径間:4.0m  拱矢:0.5m  環厚:21㎝
輪石20列

種山石工養成講座の卒業製作として架けられた石橋
種山石工の技術を受け継ぐ、石工棟梁竹部光春さんの指導のもと、緑地広場に架けられました
2012年1月29日現在、名前はまだありません
2013年3月9日 上塚事務局長に命名して頂きました

要石を最終的に現場合わせで加工されたそうです
設計図では拱矢0.536mですが、実測では0.5m、少し下がったようです

№6,474  踊水橋(ようすいきょう)

上益城郡山都町城原
橋幅:1.5m  径間:2.1m  拱矢:0.13m  環厚:30.5㎝
輪石:14列
架設:2013年2月

「種山石工養成講座」の実習とし、実習橋の横に新しい石橋が架けられました

(2014年9月1日 追記)
HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋をよく調べると、私はどうやら緑地広場内の次の橋を訪問忘れているので、データのみ掲げる。

№190  木鷺野橋

山都町(旧矢部町)城原

旧矢部町の緑地公園内に移築復元されています。矢部町市街地の旧国道を西に進み、緑地広場を示す小さな看板がありますので、それに従って進んでください
公園駐車場の奥にトイレがあります、そこを通り過ぎて、さらに進むと行き止まりですので、そこに車を止めて右手の小さな道を進むとこの橋があります

木鷺野(きさぎの)橋
「この橋は、矢部町島木、木鷺野の県道沿いの小川に、天保13年(1842)3月完成して架かっていた小型の眼鏡橋です。昭和63年(1988)5月3日の豪雨による災害復旧工事のため撤去されていたものをこの地に移築復元しました。
当時の橋の長さは3.5m、高さ1.97m、幅2.1m、拱矢1.55m、スパン3.2m、拱矢比0.48、人夫18人でした。輪石等の組み立てを研究するのには適当な石橋です。
矢部町にはかつて、30基の石橋があったと言われています。その多くが水害等により失われ、今では17基を数えるのみになりました。先人が残したすばらしい遺産を大切に保存して後世に残したいものです。」

周りの風景に溶け込んでいないように感じます。まだまだ長い年月がかかるのでしょうか。

熊本県のアーチ式石橋  通潤橋  山都町城原

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熊本県のアーチ式石橋  通潤橋  山都町城原

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。
4枚目以降は、通潤橋史料館とその展示内容。

№11  通潤橋

上益城郡山都町(旧矢部町)城原
五老ヶ滝川
橋長:75.6m  橋幅:6.3m  橋高:20.2m  径間:27.5m  拱矢:14.4m
架橋:嘉永七年(1854)
石工:棟梁 宇市、副棟梁 丈八(橋本勘五郎)、甚平、他のべ2万7千人

通潤橋(つうじゅんきょう)  国指定重要文化財 指定:S35.2.9
「通潤橋は灌漑用水を送るためにつくられた水路橋です。
建設者は、矢部総庄屋布田保之助、工事を担当したのは卯助・宇市・丈八ら「肥後の石工」と呼ばれる名工たちです。工事は、嘉永5年(1852)12月から1年8ヶ月を要しました。
通潤橋は何のためにつくられたのでしょうか。まわりを深い谷に囲まれた白糸台地は水に乏しく、田んぼの水はもちろん、飲み水も足りないような状況でした。
このような人々の苦しむ姿を見かねた布田保之助は、6Km離れた笹原川から水を引き、連通管の原理を利用した通潤橋を完成させました。この工事の完成により、白糸台地に100ヘクタールの水田が開けました。
橋の長さ 75.6m  橋の幅  6.3m  橋の高さ 20.2m  石管の長さ 126.9m」
山都町

福王寺石門  山都町城平

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福王寺石門  山都町城平

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋による説明は、次のとおり。
福王寺は、矢部高校グランドの後ろ側の通りにある。

福王寺石門

上益城郡山都町城平(旧矢部町)
福王寺
「山号医王山福王寺は、天台宗で近江国比叡山延暦寺の末寺で、天長五年(828)に俊養法師が創立したものである。阿蘇大宮司の代々の菩提所といわれ文禄年中(1592〜1596年)まで八十町歩の寺領があった。
本尊は薬師如来で脇侍の日光月光菩薩、十二神将をはじめ、阿弥陀如来等多くの仏像や神像と阿蘇家の位牌がまつられている。」   昭和六十一年七月  福王寺門徒一同

以前から訪ねたかった福王寺
石造アーチの山門
石工:山下政太郎