投稿者「misakimichi」のアーカイブ

鹿尾川渡りのところにある記念碑

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鹿尾川渡りのところにある記念碑

「みさき道」はダイヤランドから磯道団地の西端に降り、土井首大山祗神社のちょうど鳥居の前の対岸から、鹿尾川を飛び石で渡ったようである。満潮時もこのところまでしか潮が来ない。
川は大水害の防災工事により姿を変えた。渡りの遺構が何かないか調べていて、3年前にこの記念碑をその場所で見つけた。当時、地元の中山秀雄氏に聞いたときは、鹿尾川水道組合の解散記念碑とのことであった。
平成19年8月17日、石柱の写真を撮りに行った。コンクリート製で17cm角、高さ66cm位。刻みは「記念碑 三農 昭和九年 十月 □□成功 浜谷建之」とあるようで、解散記念碑とは違うように思われる。何の記念碑か資料などで正確に調べてみたい。

鳴滝山観音寺の滝  鹿尾町

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鳴滝山観音寺の滝  鹿尾町

長崎市鹿尾町、鳴滝山観音寺の境内にある。土井首から鹿尾川沿いの鹿尾ダムへ行く道に入ると、ダム堰堤の手前となる広川原のところの対岸に寺はある。南側支沢の滝のため、普段は水量が少ないが、落差20m位。岩に彫った古い観音像等も立ち、近郊では見ごたえのある滝となっている。

後の方の写真は、平成20年10月2日の増水時の様子。

深堀城山の城塁と俵石

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深堀城山の城塁と俵石

林正康著「長崎県の山歩き」葦書房2000年新版、54〜55頁関係部分の説明は次のとおり。山の遠景は香焼側から写す。

18 深堀城山 350m  中世山城の遺構が見られる

…山頂は平坦で、その回りを鉢巻き状に石と土を積み上げて築かれた城塁が目をひきます。東西約二〇〇㍍、南北約一〇〇㍍、厚さ約四㍍あります。その年代や目的はまだ解明されていないようですが、戦国動乱の時代、緊急事態が発生すると、武士だけでなく領民全員が立て籠る場所だったかもしれません。

山頂に向かって右方向へ空堀をすすむと、八幡宮があります。木造の社の後ろに石造りの祠があり、深堀氏が関東より下向したとき、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の分神を奉持して、ここに祀ったと伝えられています。空堀を半分ほど回ったところに道標がありますから、それにしたがって善長谷の方へ下ります。山道の両側の斜面に「竪堀」の跡を見ることができます。全部で九本確認でき、敵の移動を困難にするためのものだったと考えられるそうです。

途中、俵石と呼ばれる直径三〇㌢、長さ一㍍〜一・五㍍の柱状の石が、地中に整然と配列されたり地上に散乱している場所も、道標にしたがって訪ねると興味深いでしょう。古代人が運び上げて、石垣を築いたという説と、地質学でいう「柱状節理」で俵石ができたという説があります。…

2−L 深堀城山山頂  (確認 長崎要塞第二地帯標 第八号)

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2−L 深堀城山山頂  (確認 長崎要塞第二地帯標 第八号)

深堀城山は、山頂を囲むように円形の石垣城塁が築かれ、中心に八幡神社が祀られている。すぐ近くに三角点標高350mとともに「陸軍省」の標石のあることは人に知られ、「長崎県の山歩き」にも記録されている。
標石「長崎要塞第二地帯標」「第八号」である。
高橋氏は先年、登路を間違え苦労されたが、城山山頂へ登り標石を確認されていた。深堀村と土井首村の村境にあり、略図の地点に間違いない。

深堀城山の風景

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深堀城山の風景

平成19年8月16日撮影。善長谷教会から墓地を通り深堀城山(標高350m)に登り、展望のよい愛宕神社跡まで往復。帰りは二ノ鳥居から中腹へ下り、畑道を通って教会へ戻った。約2時間のコース。
深堀城山については、別に「善長谷開拓碑」「城塁と俵石」「要塞地帯標」の項もあり。

小浦波止場御船蔵跡と浜石・投光の怪

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小浦波止場御船蔵跡と浜石・投光の怪

長崎市の西部地区、福田は大浜、次は小浦、そして福田本町となる。小浦の海岸通りは久保工業の大きな工場があったが、小江工業団地へ移転したため、今は取り壊され、すっきりした道が造られている。
小浦の波止場はその川先にある。長崎が開港する前、福田浦がまず開港された。江越先生によると、この小浦の波止場は、昔の姿が今もよく残っていて市内でも珍しい。ここは船津という。

調べてみたら荒木正人稿「新編 長崎名勝図絵」(長崎文献社平成10年刊「長崎町人誌第六巻」256頁)に次のとおりあった。
小浦波止場御船蔵跡 この波止場は文化六年(一八〇九)に構築され、南蛮船が沖に現われたとき、番所の役人がただちにうち乗って出船する、船のたまり場である。弘化三年(一八四六)警備する役人の詰所として御船蔵が建てられた。

次は国道の反対となる外海の海岸側。いつも通りかかって浜の岩場に船の繋石らしい石柱が数本立っているのは気になっていた。平成19年8月15日、浜に下りて確認してみた。6本ある。古いのもあるが、新しいのもある。コンクリートの大きな角片も近くに散乱している。
石柱は、海岸の穴にまずこれを立て、それをコンクリートで塗布し、電柱のようなものにしたような形跡がある。古いのはそのはがれたもののようである。防波堤の何か施設跡か。先の御船蔵の繋船用でもあり、単純に考えると部落のペーロン行事に立てられる竹竿のくくり石とも考えられる。

最後は夕暮れの写真。小浦市営アパート塔屋背後の山中の小さな1点を写した。白く写ってしまったが、これは昼間通りかかっても、山中に青色の投光がいつも光っている。鶴見台森田氏によると飽の浦変電所上にもあるらしい。何なのか。確認してないが、船舶の航路目印か、航空機の空路目印ではないだろうか。

天門峰からの展望 女神大橋西岸

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天門峰からの展望 女神大橋西岸

平成19年8月15日撮影。天門峰は女神大橋の西岸にある標高160mの山。橋脚のところから山道があり、急登だが約20分で上がれる。
女神大橋を俯瞰し、長崎港の内外の展望が良い。山頂岩に「明治九年地理局測点」の刻みあり、この岩の撮影がてら展望を撮った。

式見のエノキ  長崎市式見町

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式見のエノキ  長崎市式見町

長崎市式見町、式見小学校の正門左にある。根元1本の支幹は倒壊していた。現地説明板は次のとおり。

市指定天然記念物  式見のエノキ   指定年月日 平成10年4月30日 所有者 長崎市

このエノキは、樹高17m、幹回り5.8mあり、高さ1.7mのところから幹は3つに分かれ、その内の1つは周囲2.8mの大きさであり、樹齢は300年以上と推定されている。
三根山の山林の中にあった自然木であるが、その場所が、三根城、城山旧庄屋跡、戸長役場、式見小学校と移り変る中、他の雑木が伐採されたのに対し、この木は庄屋や戸長役場のように政治的に重要な場所の目印として残されたものと考えられる。また、エノキが旧街道の境界木として保存されてきたとも考えられる。
長崎市教育委員会(平成11年3月設置)

大徳寺の大クス  長崎市西小島町

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大徳寺の大クス  長崎市西小島町

長崎市西小島の大徳寺公園内にある。説明板は県下第一のクスの巨木としているが、環境庁調査によると島原市有明町松尾にあるクスノキが最大である。下2枚の写真は、公園に他にあったクス2本、イチョウ1本の大木を撮った。
現地説明板は次のとおり。

県指定天然記念物  大徳寺の大クス  指定年月日 昭和25年4月10日
所在地 長崎市西小島町 大徳寺  管理責任者 長崎市

県下第一のクスの巨木である。指定当時の実測によると、根のまわり23.35m、目通り幹まわり12.55mで、本幹は三大支幹に分かれ、樹相は低く横に広がります。樹齢は800年くらいとみられます。
当時このあたりは原始林で、このクスはその中の一本であったと思われる。
長崎市教育委員会(平成17年10月設置)