深堀城山の城塁と俵石

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深堀城山の城塁と俵石

林正康著「長崎県の山歩き」葦書房2000年新版、54〜55頁関係部分の説明は次のとおり。山の遠景は香焼側から写す。

18 深堀城山 350m  中世山城の遺構が見られる

…山頂は平坦で、その回りを鉢巻き状に石と土を積み上げて築かれた城塁が目をひきます。東西約二〇〇㍍、南北約一〇〇㍍、厚さ約四㍍あります。その年代や目的はまだ解明されていないようですが、戦国動乱の時代、緊急事態が発生すると、武士だけでなく領民全員が立て籠る場所だったかもしれません。

山頂に向かって右方向へ空堀をすすむと、八幡宮があります。木造の社の後ろに石造りの祠があり、深堀氏が関東より下向したとき、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の分神を奉持して、ここに祀ったと伝えられています。空堀を半分ほど回ったところに道標がありますから、それにしたがって善長谷の方へ下ります。山道の両側の斜面に「竪堀」の跡を見ることができます。全部で九本確認でき、敵の移動を困難にするためのものだったと考えられるそうです。

途中、俵石と呼ばれる直径三〇㌢、長さ一㍍〜一・五㍍の柱状の石が、地中に整然と配列されたり地上に散乱している場所も、道標にしたがって訪ねると興味深いでしょう。古代人が運び上げて、石垣を築いたという説と、地質学でいう「柱状節理」で俵石ができたという説があります。…