投稿者「misakimichi」のアーカイブ

橋川内洞窟  佐世保市吉井町橋川内

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橋川内洞窟  佐世保市吉井町橋川内

吉井町中心部から佐々川本流に沿う世知原町への県道54号線により行く。橋本工業団地先に「橋川内洞穴」の案内標識があり、右折してサイクリング道路を越し少し上って行く。
植林地のカーブの所が橋川内洞穴の入口で、案内標識がある。植林の奥に洞穴が見え、歩いてすぐである。
吉井町「吉井町ふるさとガイドブック YOSHII−BOOK」平成6年刊4頁の説明は次のとおり。

橋川内洞窟 (町指定史跡)

橋川内洞窟の発掘調査は、昭和45年3月15日から10日間、町・県文化課・長崎大学により行われました。
調査の結果、最下層から出土した貝類は、カワニナ・イシマキガイ(淡水)・ツクシマイマイ・ナミギセル(陸)等で、縄文時代早期にはこの遺跡周辺は海の影響は受けておらず、海侵がなかったと思われます。
上層部にいくにつれ海水性のハイガイ・ハマグリ・アサリなどの貝類が見つかり、岩礁性の貝よりも泥底もしくは砂泥底に住む貝が多く、当時の海岸は河川の流出地形であったことが考えられます。
これらのことから、九州における海侵のピークを決定する重要な遺跡として、今後の緻密な調査が待たれます。

大山祇神社社叢  佐世保市世知原町開作

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大山祇神社社叢  佐世保市世知原町開作

世知原町開作の大山祇神社は、町中心部から国見岳山系小塚岳トンネルへの県道54号線により行く。山手へ急なカーブを上り、世知原温泉くにみの湯「山暖簾」入口を過ぎると世知原活性化施設「国見の郷」(農産物展示販売)があり、この先すぐ右手に神社がある。

県指定天然記念物。鬱蒼とした社叢。かなりの大木が目立つが、訪れる人がいないのか、なかなか奥までは入りきれない。社殿左右にイスノキ、ケヤキの大木があった。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

大山祇神社社叢

世知原町関作にある神社。国民宿舎国見荘の近くにあり、54号線沿いにある。境内や裏の斜面にはスタジイ、イスノキの大木の他、タブノキ、ケヤキ、ムクノキ、エノキ、イロハモミジの大木がある。
昭和47年、県の天然記念物に指定。メタセコイアもあったがこれは植生されたものだろう。

山口神社のオガタマノキ  佐世保市世知原町栗迎

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山口神社のオガタマノキ  佐世保市世知原町栗迎

世知原町栗迎の山口神社は、町中心部の佐々川近くにある。県道54号線沿いに世知原中学校の案内標識があり、学校の裏手が山口神社で広い参道と鳥居がある。
2本並んで立つ写真は、右がオガタマノキ、左はタブノキ。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

山口神社のオガタマノキ

幹周り3m、樹高18m。昭和55年、町の天然記念物に指定。小長井町のオガタマ、東彼杵町のオガタマ、佐世保市(?)のオガタマに次ぐ、オガタマノキである。
山口神社にはスタジイ、タブノキ、イスノキ、イチイガシなどの巨木がある。

八天宮のスギ  佐世保市吉井町上吉田

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八天宮のスギ  佐世保市吉井町上吉田

吉井町の中心部から世知原町への県道54号線を行く。世知原との町境近くにアーチ石橋の「祝橋」バス停があり、この手前の道から右山手へサイクリング道路を越えて上吉田へ向かう。神社を1つ過ぎ、まだかなり上って四叉路となる。
ここに「上吉田→」の標識があり、そのとおり進むとすぐ急に視界が開ける草場がある。この左方草つきの中に「吉井の名木 スギ」の標柱があるので、決して見落さないこと。

八天宮の入口は、この道路反対側の植林地である。小さな祠で、地元で「八天宮」や「大杉」を聞いても、全く知らていない。
吉井町「吉井町ふるさとガイドブック YOSHIIーBOOK」平成6年刊33頁の説明は次のとおり。
八天宮の大杉

祝橋から橋口方面へ坂道をのぼり、上吉田地区に通じる道の右側に八天宮の森があります。参道は苔むした狭い道ですが、その両側に5,6本の杉の巨木が立ち並び、目をみはらせます。
その中の1本は、幹周約3.5mあり、町内では最大の杉です。

梶木場のクロガネモチ  佐世保市吉井町梶木場

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梶木場のクロガネモチ  佐世保市吉井町梶木場

吉井町梶木場は牧ノ岳の裏手となる。吉井町の中心部から福井洞穴や松浦市へ行く県道40号線に入る。直谷の福井郵便局先から右折、福井川支流沿いの世知原への道を上って行くと梶木場集落の入口へ出る。
ヒノキとスギの珍木はこの近くにあるが、道路沿いの古い集落案内板を見ると、梶木場のまだ山手に「モチの大木」と書いてあり、その場所へ行ってみた。

先の入口から左にかなり山手へ上る。梶木場公民館近くに松浦方面との分岐道標が立ち、まだまっすぐに上る。広域農道が見え、この一段下の道路沿いに六地蔵堂があり、その先に「吉井の名木 モチノキ」が標柱とともに立っていた。
幹回り3.5m、樹高13mほど。自然石の古墓か、根元を取り囲んでいる。

場所がわかりにくいから地図を掲げた。梶木場の串田池近く瀬戸川という集落のようである。
吉井町「吉井町ふるさとガイドブック YOSHIIーBOOK」平成6年刊に、この木は載ってない。

梶木場のヒノキとスギの珍木  佐世保市吉井町梶木場

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梶木場のヒノキとスギの珍木  佐世保市吉井町梶木場

吉井町梶木場は牧ノ岳の裏手となる。吉井町の中心部から福井洞穴や松浦市へ行く県道40号線に入る。直谷の福井郵便局先から右折、福井川支流沿いの世知原への道を上って行くと梶木場集落の入口へ出る。

地蔵堂のあるバス停のような所から左上を見ると、ヒノキ・スギの高木がある福田宅があり、畑の中の道を登って行く。
吉井町「吉井町ふるさとガイドブック YOSHIIーBOOK」平成6年刊33頁の説明は次のとおり。
ヒノキとスギの珍木

梶木場地区の民家の前にあるこのヒノキは、杉の木と絡み合ったまま成長し、そのまま大きくなった珍しい木です。
株立ちのこのヒノキは1本の幹が2m以上あり、全部を合計すると幹周は6m以上、高さ14mで、町内で最大級のものです。

岩下洞穴  佐世保市松瀬町

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岩下洞穴  佐世保市松瀬町

長崎県指定史跡「岩下洞穴」は、佐世保市松瀬町にある。世知原町へ行くためたまたま通りかかり、寄ってみた。
国道204号線瀬戸越交差点の次となる田原町交差点から世知原町へ行く県道151号線へ入る。松浦鉄道左石駅の右高架と大野中学校など過ぎ、松瀬町簡易郵便局の先まで上って行くと、「岩下洞穴」の案内標識がある。右の細道へ下って行くと洞穴がある。
佐世保市教育研究会平成16年編HP「佐世保の歴史を調べよう」による説明は次のとおり。

岩 下 洞 穴 (いわしたどうけつ)

ここは昭和39年(1964年)佐世保市立大野中学校の生徒が発見しました。そして調査をした結果,以下のような物が見つかりました。
人骨(じんこつ)〔人の骨〕29体
土器,石器(石で作った器具),骨角器(骨で作った器具)
鳥や魚や獣の骨
炉(床の一部を切り開けて箱形にして,暖をとったり,煮炊きをしたりした所)の跡

これらによってここが縄文時代の早い時(約8000年前)から古墳時代(1700年前)までの長い時代にわたって生活の場として利用されていたことがわかりました。米作りだけに頼る必要がないほど,自然の幸(さち)に恵まれていたことがわかります。
では,どのような食べ物があったのでしょうか。

数多くのやじりや,やりが発見され,同時にたくさんの種類の動物の骨が見つかりました。イノシシやニホンジカ,アナグマ,ノウサギ,タヌキ,ニホンザル,ワシタカの一種,ヤマドリの一種などを食べていたのでしょう。また,カワニナや,ヤマトシジミ,ヤマタニシなどの貝類も見つかっています。近くの大野川から捕ってきたのでしょう。

狩りの道具以外では,石皿やスリ石も多く見つかりました。これは木の実を砕いたりすりつぶしたりしたことが予想されます。クリ,マテ,シイ,ドングリなどです。これ以外にも果物,山菜,木の実も食べていたようです。近くの森からとれたのでしょう。
また,海にいる貝や魚の骨も発見されました。これは,海の近くに住む人との交流があったことが予想されます。

写真をさつえいしたのは,8月のとても暑い日でしたが,岩のすきまからはとても冷たい空気が流れ出てきていました。昔の人にとってもここは,夏すずしく,冬暖かいところで,住みやすい場所だったのでしょうね。
発掘された人骨は長崎大学に保管(ほかん)されていて,石器などの遺物は佐世保市博物館島瀬美術センターに保管されています。ここは,長崎県指定の史跡になっています。

岩下洞穴(いわしたどうけつ)<行き方>
MR左石から,知見寺方向へ徒歩40分。もしくは,知見寺行きバスに乗り,天の久保バス停下車。徒歩5分。

世知原町洞禅寺にある大正七年「石橋新設紀念」碑の石橋とは?

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世知原町洞禅寺にある大正七年「石橋新設紀念」碑の石橋とは?

平成20年5月26日、佐世保市世知原町へアーチ石橋17橋を見に行った。世知原中学校前から「きりのき橋」へ行く市道へ入ると、すぐ左に「洞禅寺」があり、寺の山門先の道路沿い住職宅入口に、気になる石柱が両側に立っていた。
写真のとおり、右の刻字は「上大菩提 石橋新設紀…」「大正七年三月吉日」である。左のは「下化衆生 …」。境内を見ても池や石橋はなく、どの石橋のことか、調べてみたいと思った。

残念ながら、石柱の写真はこの1枚のみしか写していない。寺の前は市道をはさんで北川内川が流れ、市道は広く改修されているので、寺の参道が昔は川にあったことも考えられる。
帰ってから世知原町「世知原郷土誌」平成2年刊を公民館から借りて読むと、295〜306頁に「6 アーチ式石橋群と石造文化」があった。

「倉渕橋」では、「大正七年(完成は八年三月)、県道倉渕橋をアーチ式石橋に架替えた」とあり、年代的にこれが同時期だ。
寺や石工から見ると「岩下橋・前原橋・曲川橋」で「三橋は…同時期に順次架設されたもので、小学校石垣、洞禅寺石垣などを構築した世知原町栗迎免一六〇の内野永雄氏(平成二年・九十六才)の架橋になるものである」。ただし「架橋は三橋とも昭和二年四月とされる」と出てくる。

石柱のことを、石橋群マップを作成されている世知原地区生涯学習センターの松永先生へ電話で尋ねた。先生はこの石柱の存在を知っておられ、自分も気にかけていたが、まだ調べていない。資料もないらしいとのことだった。

以下はその後の展開である。HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」N氏には、大変な指導をいただき世話になっているので、少々期待を込めてメールにより画像を送った。、
さっそく「日本の石橋を守る会」関係から、地元世知原の石橋研究家・画家の末永先生へ連絡を取ってくださり、わかった結果が次である。
末永先生が足を運んで調べられた内容を、そのままの文により紹介したい。

おはようございます。早速洞禅寺へ行ってきました。
なるほど裏山門に一対の石柱が建っていて正面から向かって右に「石橋新設紀念」と刻まれています。側面には「大正七年三月」が読めます。左の柱には「松浦炭礦」その側面には、石工の名が刻まれています。

この松浦炭鉱というところから、「新設」はおそらく倉渕橋だろうと想定できます。というのは、
①「紀念」は「はじめる」の意味に捉えられ、「できた」は記念
倉渕橋完成は大正8年3月ですから大正7年の起工は間違いありません。
②松浦炭鉱のかかわり
明治33年に、松浦炭鉱が現倉渕橋に、木橋(土橋)をかけたという記述があります。
石橋への架け替えに関する著述で松浦炭鉱の名前は出てきませんが、当時採炭一色だった世知原においては炭鉱の力は相当なものだったと考えられます。
したがって、木橋を石橋に架け替えるに当たって、洞禅寺に祈願したものと思われます。
③大々的な石橋
石工の名前は磨耗していてよくわかりませんでしたが、「世知原」という字が読めましたので民族資料館を手がけた地元の石工の名前が出てきそうな気がします。(調査継続)
これほど大きな祈願の石柱を立てて(安全、成就を)祈念した橋と言えば、倉渕橋しかないと思われます。

以上の点から、「倉渕橋をかけるに当たって寄進された石柱」と思われます。
こんなそんな話をしていたら、若住職が気になる石柱がもうひとつあると案内されました。後からついていくと、高さ約50cm位の親柱で、「延命橋」という文字が彫られていました。
若住職はそれがどこの橋か全く見当もつかないといっていましたが、実は、洞禅寺の山門への坂の上り口にアーチ石橋が架けられていたのです。
昭和51年ごろまであったそうです。本殿を建て替える時に、この坂道も作り変え、そのときにアーチ石橋は壊されたようです。
おそらく「延命橋」はその親柱ではないかと思われ、写真等を探していただくようにお願いして帰ってきました.
以上お答えします。

まだまだ世知原でも調べれば、おもしろく貴重なことがあるようだ。N氏と末永先生には、深くお礼申し上げます。

佐世保市(世知原町)に残るアーチ石橋  (4)

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佐世保市(世知原町)に残るアーチ石橋  (4)

佐世保市(世知原町)に残るアーチ石橋は、17橋である。
HP「お茶と石橋の街 世知原 せちばる web site」の石橋の項を参照。
散策用”せちばる石橋群マップ”は、世知原活性化施設「国見の郷」(農産物展示販売)・佐世保市役所世知原支所・生涯学習センターなどにある。
ほとんどの橋に、説明板が付けられ、主要道路入口から案内標識が整備されている。

世知原町郷土誌編纂委員会編「世知原町郷土誌」(世知原町 平成2年10月発行)295〜306頁「6.アーチ式石橋群と石造文化」による説明は次のとおり。
掲載順は、石橋の場所がわかりやすいように変えた。

最後の「(2) 竜の氏橋」は、現在、上流側に新橋を造るため工事中。また、すぐ30mほど上流には古い桁橋「小岩橋」があり、見るには左岸の畑畦道を通って行く。
なお、古山橋の上流にあった「(5) 通地橋」は崩壊の危険性があり、昭和62年解体された。代りに世知原中学校グランドの「若鮎橋」を入れて、17橋と紹介した。

写真 14  ( 4)  古 山 橋        (上野原免・古山)
佐々川の支流・字山中の絶壁下にあり、道路面は舗装されて若干修復の跡はあるが完形。周辺景観ともよくマッチしている。
架橋 大正13年    橋長 9.7m  幅員 3.6m  橋高 6.3m

写真 15  ( 3)  尾 崎 橋        (槍巻免・浦木)
知見寺線の旧道、尾崎の墓所下にあり、佐々川の本流に架かる。交通量は少ないが現在も使用中。道路面は舗装されている。
橋の両側は10m前後の急峻な断崖絶壁で、架設上の困難がしのばれる。
両岸の断崖上部を加工して橋台とし、輪石には砂岩でなくて安山岩系の石を使用するなど、伝統的な石橋の構築技法に従っていることが観取され、工事の困難性の故か目地のモルタル補修もなく、橋面はともかく橋全体は創架時の状態をよく保っている。現時点では町内で最も古い橋といえる。
架橋 明治30年    橋長 6.7m  幅員 3.6m  橋高 9m

写真 16  ( 1)  高 観 寺 橋      (上野原免・天竺田)
佐々川上流の高観寺旧蹟のたもとにあり、現在は使用されていない。
スパンドレル(アーチ両脇の三角小間)部に一部崩壊が認められるが、他はほとんど完形で残存しているる
国民宿舎「国見山荘」への通路にあたり、県道に併行して現在の高観寺橋からその全部を見ることができる。川も美しく上流の景観とよくマッチしている。
架橋 昭和4年11月  橋長 13.3m  幅員 3.9m  橋高 6.4m

写真 17  ( 2)  竜 ノ 氏 橋      (上野原免・竜ノ氏)
高観寺橋下から佐々川支流の竜ノ氏川を上った小橋で完形。道路面は舗装されていて一部補修の跡がみられ、現在も使用されている現役の橋であるが交通量は少ない。
架橋 大正15年    橋長 4m  幅員 3.4m  橋高 3. 6m

佐世保市(世知原町)に残るアーチ石橋  (3)

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佐世保市(世知原町)に残るアーチ石橋  (3)

佐世保市(世知原町)に残るアーチ石橋は、17橋である。
HP「お茶と石橋の街 世知原 せちばる web site」の石橋の項を参照。
散策用”せちばる石橋群マップ”は、世知原活性化施設「国見の郷」(農産物展示販売)・佐世保市役所世知原支所・生涯学習センターなどにある。
ほとんどの橋に、説明板が付けられ、主要道路入口から案内標識が整備されている。

世知原町郷土誌編纂委員会編「世知原町郷土誌」(世知原町 平成2年10月発行)295〜306頁「6.アーチ式石橋群と石造文化」による説明は次のとおり。
掲載順は、石橋の場所がわかりやすいように変えた。

写真 10  ( 6)  い ず み 橋      (栗迎免・矢櫃)
佐々川本流の町中心部にあり、住宅密集地の「かじか団地」に架かる。
松浦炭鉱の時代には、炭鉱住宅(川向)への通路となっていた。現在は使用されず、新いずみ橋と併行して残っている。完形で両側絶壁状の崖上に架橋されていて、尾崎橋と同様、工事の困難がしのばれる。
断崖の下流域は、材料の石材採取地となっており、前記「歴史民俗資料館」の石材もここから採取されたといわれている。川面の風景も情緒がある。
架橋年 不 詳   橋長 9m  幅員 2m  橋高 7.9m

写真 11  ( 7)  山 口 橋        (栗迎免・山口)
世知原の鎮守、山口神社東側の旧道、北川内川が佐々川本流に合流する地点にある。
絶壁の崖上に架かり、川は深い渕をなしていて、その景観はすばらしい。アーチも断崖と対応して造形の美をなしている。
架橋 大正14年  橋長 5.2m  幅員 1.8m  橋高 5.2m

写真 12        若 鮎 橋        (世知原中学校グランド)
雲仙普賢岳の噴石を使用して、生徒達が組み上げた石橋。
生徒達は試作の「ぐらぐら橋」からスタートして、この150個の噴石を組み合わせた石橋を完成させた。切石で無い石橋は古里に架かる小さな石橋を思わせる素朴で懐かしい佇まいを見せていた。(若鮎橋の説明は、HP「長崎県の石橋を訪ねて」から)
架橋 平成15年12月8日  橋長 4.0m  幅員 0.8m

写真 13  (13)  きりのき橋        (北川内免・桐ノ木)
山口橋の上流、念田への入口付近に架かる。旧道で現在は農作業の往来に使用される程度であるが、架橋時から全く手を加えられておらず、道路面の舗装もなされていない野の道にあって、アーチ・欄干・親柱ともに完全。周囲の田園的な状況は絵になる光景を保っている。
保存状態の秀逸さと、年代や架橋経緯の確かさ、架橋記念碑の存在など、現存アーチ式石橋の中で最も貴重なものの一つといえる。総工費558円30銭であった。
県立少年自然の家への通路にもあたり、教育、文化、観光の面でも期待がもてる。
架橋 大正15年3月  橋長 5.7m  幅員 3.5m  橋高 3.1m