投稿者「misakimichi」のアーカイブ

2016年ながさき紫陽花(おたくさ)まつり  長崎市中島川畔 ( 長崎県 )

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2016年ながさき紫陽花(おたくさ)まつり  長崎市中島川畔

2016年5月27日(金)晴。妻らが長崎市寺町の東明山興福寺 第30回紫陽花季(あじさいき)へ。その後、眼鏡橋が架かる中島川畔のながさき紫陽花(おたくさ)まつりを見学した。
開催要領はパンフレットのとおり6月12日(日)まで。

東明山興福寺 第30回紫陽花季(あじさいき)  長崎市寺町 ( 長崎県 )

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東明山興福寺 第30回紫陽花季(あじさいき)  長崎市寺町

2016年5月27日(金)晴。妻らが長崎市寺町の東明山興福寺 第30回紫陽花季(あじさいき)へ。そのスナップ。開催要領はパンフレットのとおり6月6日(月)まで。

宗像大社(辺津宮)  福岡県宗像市田島 ( 福岡県 )

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宗像大社(辺津宮)  福岡県宗像市田島

連休に帰省した長男の途中下車の旅。2016年5月3日撮影。ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。
筑前大島の宗像大社(中津宮)は、本ブログ次を参照。 https://misakimichi.com/archives/2883  

宗像大社

宗像大社(むなかたたいしゃ)は、福岡県宗像市にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社。日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社である。祭祀の国宝を多数有し、裏伊勢とも称される。

概要
「宗像大社」は沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の三社の総称であるが、現在では辺津宮のみを指す場合も多い。地図上で辺津宮から11km離れた中津宮、さらに49km離れた沖津宮を線で結ぶと、その直線は145km離れた朝鮮半島釜山の方向に向かう。古代から半島と大陸の政治、経済、文化の海上路であった。古くから海上・交通安全の神としての神威にちなみ、信仰されているが、現在では海上に限らず、陸上・交通安全の神として信仰を集めている。そのため、福岡県内では宗像大社のステッカーを貼った自動車が多数見受けられるほか、新車を購入した際に御祓いを受ける人も非常に多い。また、車に装着する交通安全のお守りは宗像大社が発祥である。

海上交通の要所に位置する沖ノ島に祀られている沖津宮は、「おいわずさま」と呼ばれ島全体が御神体である。そのため現在でも女人禁制であり、男性であっても上陸前には禊を行なわなければならない。昭和29年以来十数年に渡り沖の島の発掘調査が行われ、4・5世紀から9世紀までの石舞台や古代装飾品などの大量の祭祀遺物が発見された。このことから、沖の島は俗に「海の正倉院」と呼ばれており、古代から信仰の対象とされていたことが偲ばれる。現在は、台風などの緊急避難港に指定されている。

近年、沖ノ島を世界遺産にする運動が起こり、2009年1月5日に沖津宮・中津宮・辺津宮及び沖津宮遥拝所と沖ノ島全体を含めて、『神宿る島・宗像・沖ノ島と関連遺産群』の構成遺産として世界遺産暫定リストに追加掲載された。2015年には推薦候補となる事が決定した。なお審査は2017年に行われる予定である。

島根県立古代出雲歴史博物館  島根県出雲市 ( 島根県 )

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島根県立古代出雲歴史博物館  島根県出雲市

連休に帰省した長男の途中下車の旅。2016年5月1日撮影。島根県立古代出雲歴史博物館は出雲大社のすぐ近く、島根県出雲市大社町杵築東99-4にある。
ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり

島根県立古代出雲歴史博物館

島根県立古代出雲歴史博物館(しまねけんりつこだいいずもれきしはくぶつかん)は、島根県出雲市にある歴史系の博物館。

概要
2007年3月10日に出雲大社の東隣に開館。主に出雲大社を中心とした古代出雲についての展示を行っており、荒神谷遺跡より出土した国宝を含む銅剣358本・銅矛16本、銅鐸6個、加茂岩倉遺跡より出土した国宝の銅鐸39個、すべて国宝、テーマ別展示室全点が公開されている。
古代出雲以外では石見銀山など旧石見国も含めた島根県全体の歴史についての展示がある。中央ロビーには2000年に出雲大社境内から出土した宇豆柱が展示されている。平安時代の出雲大社本殿を再現したという10分の1の模型が展示されている[1]。
敷地内には「風土記の庭」や体験用の水田、工房が設置されている。

建築
コンセプトとして、建築の主張を抑えるために面と線を簡素に表し、素材も鉄とガラスというシンプルな組み合わせになっている。また、壁面の鋼は古代のたたら製鉄、ガラスは現代性をそれぞれ象徴する役割も担い、古代と現代の融合という意味合いもある[2]。また元々の敷地は駐車場と湿原であったため、庭園の樹木にはシイやカシなど常緑の広葉樹が植えられた[3]。

東六甲採石場(奥山刻印群)・跡ほか  芦屋市呉川町で出土を移設展示 ( 兵庫県 )

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東六甲採石場(奥山刻印群)・跡ほか  芦屋市呉川町で出土を移設展示

サイト「近世以前の土木・産業遺産」兵庫県リストによるデータは、次のとおり。画像は、芦屋市在住の平幸治氏(「肥前国深堀の歴史」著者)が撮影協力し、提供があった。

東六甲採石場(奥山刻印群)・跡 ひがしろっこう(おくやま)
芦屋市 <大坂城石垣石切丁場>  石丁場(花崗岩) 元和6〜寛永5(1620-28) 市史跡(一部) 市教委 国有林の山中にそのままの形で残る(特に遊歩道や案内板はない)/市有地に移設した一部遺構のみ史跡指定 元和〜寛永期の約10年の徳川幕府による大坂城再築事業に伴う複数藩の一大採石場/A-J地区:越前福井藩松平家(「二つ串団子」「一と三角に点」「Z字」など多様な刻印)、K地区:長州藩毛利家(「一品」の刻印)/芦屋市での3刻印群の中では最も大規模 1-3 A

東六甲採石場(岩ヶ平刻印群)・跡 ひがしろっこう(いわがひら)
芦屋市 <大坂城石垣石切丁場>  石丁場(花崗岩) 元和6〜寛永5(1620-28)   市教委(芦屋市文化財報告書44・60・61) 宅地開発のため発掘調査が唯一進展→理解の得られた場合、小公園化して展示保存 元和〜寛永期の約10年の徳川幕府による大坂城再築事業に伴う複数藩の一大採石場/出雲松江藩、若狭小浜藩、因伯鳥取藩、肥前唐津藩、肥後熊本藩、播磨赤穂藩の刻印/全国的に見て発掘調査が最も完璧に行われた徳川大坂城に関わる採石場遺構 1-3 A

伊勢町の尼崎藩境石  芦屋市伊勢町 ( 兵庫県 )

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伊勢町の尼崎藩境石  芦屋市伊勢町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」兵庫県リストによるデータは、次のとおり。画像は、芦屋市在住の平幸治氏(「肥前国深堀の歴史」著者)が撮影協力し、提供があった。

伊勢町の尼崎藩境石 いせ
芦屋市 芦屋市立美術博物館裏<尼崎藩> 境界石 高157㎝,21㎝角  寛文年間(1661-73)〜明和年間(1764- 72)?   WEB/尼崎の道標を訪ね歩く 移設(もと、打出小槌町) (3面に同じ表記)「従是 東尼﨑領」 2 C