東六甲採石場(奥山刻印群)・跡ほか  芦屋市呉川町で出土を移設展示 ( 兵庫県 )

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東六甲採石場(奥山刻印群)・跡ほか  芦屋市呉川町で出土を移設展示

サイト「近世以前の土木・産業遺産」兵庫県リストによるデータは、次のとおり。画像は、芦屋市在住の平幸治氏(「肥前国深堀の歴史」著者)が撮影協力し、提供があった。

東六甲採石場(奥山刻印群)・跡 ひがしろっこう(おくやま)
芦屋市 <大坂城石垣石切丁場>  石丁場(花崗岩) 元和6〜寛永5(1620-28) 市史跡(一部) 市教委 国有林の山中にそのままの形で残る(特に遊歩道や案内板はない)/市有地に移設した一部遺構のみ史跡指定 元和〜寛永期の約10年の徳川幕府による大坂城再築事業に伴う複数藩の一大採石場/A-J地区:越前福井藩松平家(「二つ串団子」「一と三角に点」「Z字」など多様な刻印)、K地区:長州藩毛利家(「一品」の刻印)/芦屋市での3刻印群の中では最も大規模 1-3 A

東六甲採石場(岩ヶ平刻印群)・跡 ひがしろっこう(いわがひら)
芦屋市 <大坂城石垣石切丁場>  石丁場(花崗岩) 元和6〜寛永5(1620-28)   市教委(芦屋市文化財報告書44・60・61) 宅地開発のため発掘調査が唯一進展→理解の得られた場合、小公園化して展示保存 元和〜寛永期の約10年の徳川幕府による大坂城再築事業に伴う複数藩の一大採石場/出雲松江藩、若狭小浜藩、因伯鳥取藩、肥前唐津藩、肥後熊本藩、播磨赤穂藩の刻印/全国的に見て発掘調査が最も完璧に行われた徳川大坂城に関わる採石場遺構 1-3 A