投稿者「misakimichi」のアーカイブ

震洋隊基地跡  瀬戸内町押角呑之浦(加計呂麻島) ( 鹿児島県 )

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震洋隊基地跡  瀬戸内町押角呑之浦(加計呂麻島)

ブログ「大奄美史」紀行による記事は、次のとおり。加計呂麻島瀬相港から県道614号により北東に押角の呑之浦トンネル手前まで行く。トンネル開通により迂回路となった旧道の方に入ると、島尾敏雄文学碑記念公園入口がある。
記念公園一帯が、配置図のとおり震洋隊基地跡となるが、島尾敏雄文学碑(このあたりに本部、兵舎、弾薬庫などがあった)から海岸沿いの遊歩道を先に進むと、震洋艇の格納壕が点々と確認できる。

2014-05-28  震洋隊基地跡 (呑之浦)  加計呂麻 戦跡・聖蹟

島尾敏雄文学碑から遊歩道を先に進む。少し行くと震洋のレプリカが置かれた格納壕がある。前に案内板。この先も遊歩道が続いていて点々と格納壕がある。

震  洋
昭和19年4月、軍令部から頽勢挽回用として提案された一から九までの特殊兵器のうちの一つで、マル六の回天とともに実用されたのがマル四の震洋であった。鋼製及び木製の試作艇は5月27日に試運転が行われ多少の改造のうえ、直ちに量産に移された。一人乗りの一型改一は艇首に炸薬を搭載して全速で敵艦船に衝突自爆しようとするモーターボートで、量産のため主機関は自動車のエンジンを使った。のち、指揮艇として二人乗りで機銃と噴進砲を積んだものを並行して量産に移した。
18年8月、第一次震洋隊50隻が長浦(横須賀)での訓練を終わって大蝶舞台として父島に出撃した。その後8月以後、九州の川棚警備隊と江田島の江の浦で訓練を行い、比島、南西諸島、本土各地、伊豆諸島、小笠原諸島、支那沿岸、東南アジア(現地製造)等に敵配備して来攻に備えたのである。これらの搭乗員は、兵学校や予備学生出身の青年士官が隊長となり、各艇員は予科練出身者であった。

特攻といえば「神風」とか「飛行機の体当たり」を連想するように、いわゆる航空特攻の印象が非常に強い。戦争を題材にした映画や記録フィルムでも必ずといっていいほど飛行機の特攻シーンが出てくる。(最近見た話題の映画でも特攻隊の迫力あるCG映像をウリにしていた)
実際にはいろいろな種類の特攻兵器が開発されていて、海軍の水上、水中兵器として実用化されたものに、回天(人間魚雷)とこの震洋があり、陸軍でもマルレという震洋に似た特攻艇が使われている。
震洋は最終的には6200隻が建造され、部隊としての震洋隊は146個隊編成された。特攻隊員は1隊あたり50人が原則で、基地要員も含めると190人前後で、震洋隊全体としては、兵力30000人弱、特攻要員7300人程の部隊であった。
このうち実際に出撃したのは、コレヒドール島(マニラ湾口の島)の1個隊、沖縄の2個隊の合わせて3個隊である。震洋部隊の戦死者は2500人と言われるが、多くは輸送船の沈没、上陸米軍との陸戦や誘爆事故によるものだという。
震洋艇はきわめて単純な構造で、ベニヤ板でできたモーターボートに自動車のエンジンを付けたもので、先端に250kgの炸薬を詰め込んでいた。艇の舳が対象物(敵艦)にぶつかったときに舳がへこんで回路がつながり爆発する仕組みになっていたという。
奄美地区では、ここ呑之浦の第十八震洋隊の他に、同じ加計呂麻島三浦に姉妹隊の第十七震洋隊、大島海峡対岸の久慈湾に第四十四震洋隊があり、喜界島にも2個隊があった。 ※参考『図説特攻』(太平洋戦争研究会編)

長崎市牧島町に残る「1 牧島震洋基地」は、本ブログ次を参照。
https://misakimichi.com/archives/5

島尾敏雄文学碑記念公園  瀬戸内町押角呑之浦(加計呂麻島) ( 鹿児島県 )

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島尾敏雄文学碑記念公園  瀬戸内町押角呑之浦(加計呂麻島)

現地の島尾敏雄文学碑建立趣旨や島尾敏雄略歴の碑文は、次のとおり。加計呂麻島瀬相港から県道614号により北東に押角の呑之浦トンネル手前まで行く。トンネル開通により迂回路となった旧道の方に入ると、島尾敏雄文学碑記念公園入口がある。

建立趣旨
この地呑之浦が島尾敏雄と廻り会ったのは、昭和十九年十一月、島尾は、第十八震洋隊隊員一八三名を率い、呑之浦の入江深く、基地設営のために上陸した。島尾は、震洋特攻隊長としていつ捨てるかも知れぬ命を背負い、死への準備にいそしむ日々を生きていた。押角国民学校に勤める大平ミホに出会ったのは、そんな戦争状態の中にあっても、時として訪れる平穏な一日であった。島尾の特攻出撃とともに、二人の青春はこの地に散るはずであったが、敗戦により思いがけない生を得た。
戦後、文学史上に残した島尾の仕事は、ここでの体験を抜きにしてはけっして語ることができない。三回忌を迎えたいま、島尾敏雄の業績をたたえ、それを記念するために、ゆかりに地呑之浦に文学碑を建立する。
一九八八年十二月四日  島尾敏雄文学碑建立実行委員会

島尾敏雄について
1917年(大正6年)、横浜で出世。幼少の夏は父母の故郷・福島県相馬郡でよく過ごした。43年(昭和18年)九州大学(東洋史専攻)を繰り上げ卒業、海軍予備学生となり、翌年④艇特攻要員に任じられ、第18震洋隊指揮官として呑之浦に基地を設営、出撃(死)を待った。この状況のなか押角の大平ミホと結婚。伸三とマヤが生まれる。生涯引越しを続け旅のような人生であったが、55年(昭和30年)から75年(昭和50年)までの20年間、名瀬に住んだ。凄絶なまでの愛の高みを祈り刻んだ『死の棘』などの小説のほか、詩、随筆、対談、歴史家としての眼での文化論、ヤポネシア論など出版されたものは多い。芸術院会員。第一回戦後文学賞、芸術選奨、日本文学大賞、谷崎潤一郎賞、川端康成文学賞、野間文学賞、多くの新聞社の賞など、著名な賞は殆ど受賞。新しく切り拓かれる大きな仕事への期待は、86年(昭和61年)11月、鹿児島市での突然の死によって絶たれた。今、福島県相馬郡に眠る。

武名のガジュマル  瀬戸内町武名(加計呂麻島) ( 鹿児島県 )

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武名のガジュマル  瀬戸内町武名(加計呂麻島)

サイト「樹の国・日本の大きな樹」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。加計呂麻島瀬相港から県道
614号により北西へ武名まで行く。集落の県道沿い左に案内標識があり、川沿いの奥の広場まで進む。広場の奥にもあと1本、ガジュマルの大木(写真8〜10か?)が見える。

武名(たけな)のガジュマル
所在地 鹿児島県大島郡瀬戸内町武名(加計呂麻島)
樹 種 ガジュマル
指 定
幹 周 12m
樹 高 20m

木慈の垣漁跡  瀬戸内町木慈(加計呂麻島) ( 鹿児島県 )

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木慈の垣漁跡  瀬戸内町木慈(加計呂麻島)

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。瀬戸内町古仁屋港から加計呂麻島瀬相港へフェリーで渡る。県道614号により北西へ木慈まで行くと、集落手前の海岸にこの垣漁跡が残る。長さは約80m、高さ約60cm。押角の垣漁跡は、訪ねていない。

木慈と押角の垣漁跡 きじ、おしかく
(大島)瀬戸内町(加計呂麻島) 木慈、押角 魚垣 江戸期? 町記念物 WEB(みさき道人) /WEB 昭和戦後まで使用/半壊状態で残る 奄美大島北部では垣の所有形態が私有的であるのに対し、瀬戸内一帯では集落で共有されていたとされる 3 C

瀬戸内町立図書館HPの文化財の紹介(町指定文化財)による説明は、次のとおり。

垣 漁 跡
垣漁とは、満潮時に石垣内に入った魚たちが干潮になって逃げ遅れたところを網などで捕えるという素朴な漁法のことである。奄美大島の垣漁は、波穏やかな海岸線を持つ本町をはじめとして、笠利町や龍郷町の湾岸で行われていた。奄美大島北部では垣の所有形態が私有的であるのに対し、瀬戸内一帯では集落で共有されていたようである。漁の際に使用した網(サデ網)についても同様だ。戦後もしばらくはこの漁法が行われており、キビナゴの群が漁垣内に入ると素早く中央の出入り口を網でふさぎ、垣内のキビナゴを捕っていた。大小の竹カゴや網ですくい取る方法はもちろん、両足をV字型に伸ばして座り、そのまま前方に進みながら、足に触れる魚を素早く掴み取る方法もあった。現在では、木慈集落と押角集落に2ヶ所に半壊した石積みが残るだけである。

ブログ「大奄美史」紀行による記事は、次のとおり。

2014-03-21  木慈の垣漁跡  加計呂麻
木慈集落東側の県道沿いの海岸に垣漁の跡が残されている。垣漁は満潮時に石垣内に入った魚を干潮時に捕まえるという漁法である。波は静かで潮が引いて海底が露出しているが、こういう地形が適しているのだろう。戦後もしばらくはこの漁法が行われていたようだ。
龍郷では平家漁法跡と名付けて史跡としている。口碑では遠見番をしていた平家の武将が退屈しのぎに思いついて始めた方法が大島に広まったと言われているらしいが、・・ ⇒ 平家漁法跡 (瀬留)- 「大奄美史」紀行

近づいてみると結構たくさんの石を使っている。旧暦5月5日には伝統行事としてカキオコシ(修復)の作業を集落総出で(校区の小学生も参加して)行うという。かつては神女たちがオボツヤマに登ったというから宗教的な行事でもあったようだ。
この漁法は長崎県、大分県、沖縄の石垣島や下地島にも跡が残っていて、九州では石干見、沖縄では魚垣と呼ばれているそうだ。確かに原始的な漁法だから、地形などの条件さえ良ければどこにあってもおかしくない。

ヤドリ浜  瀬戸内町蘇刈 ( 鹿児島県 )

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ヤドリ浜  瀬戸内町蘇刈

鹿児島県観光サイト「本物の旅かごしま」による説明は、次のとおり。瀬戸内町古仁屋から東南に県道626号によりホノホシ岬に向かう。その先の蘇刈にヤドリ浜がある。

ヤドリ浜キャンプ場
エメラルドグリーンの海と白い砂浜が延々と続く美しい海岸です。大きなガジュマルが海岸に木陰をつくり、白い砂浜が美しく弧を描いています。ビーチに隣接してシャワー室、トイレ、炊事棟、休憩棟などが完備しており、ダイビング・ウィンドサーフィン・ジェットスキーなどのマリンレジャーやキャンプに最適です。近くには、玉石の海岸で有名なホノホシ海岸(車で1〜2分)があります。

ホノホシ海岸  瀬戸内町古仁屋船津 ( 鹿児島県 )

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ホノホシ海岸  瀬戸内町古仁屋船津

瀬戸内町誌歴史編編纂委員会編「瀬戸内町誌 歴史編」平成19年発行の736頁による説明は、次のとおり。瀬戸内町古仁屋から東南に県道626号によりホノホシ岬に向かう。

名勝 ホノホシ海岸  [1978年12月15日指定〕
ホノホシ海岸は、奄美大島の南端近く、細くくびれた地峡の太平洋側にある。太平洋の荒波にもまれた大小様々な大きさの玉石が海岸一帯に広がり絶景である。波にもまれた玉石が音をたてて流れ、太平洋の景色が楽しめる癒しの空間である。
ホノホシの語源は、「船越(フナコシ)」が訛ったものであるといわれる。伊須湾と大島海峡の行き来の際、皆津崎をまわるよりもこの地峡を船を担いて渡った方が早く労力も少なかったことから、船を担いて往来していたという。船を担いて渡った場所なので、「船越(フナコシ)」なのである。

マネン崎展望台  瀬戸内町嘉鉄  ( 鹿児島県 )

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マネン崎展望台  瀬戸内町嘉鉄  

現地説明板は、次のとおり。瀬戸内町古仁屋から県道626号により東南のホノホシ岬の方へ向かう。マネン崎展望台はその途中、清水と嘉鉄の間にある。

マネン崎展望台
大島海峡の東の入口で大潮の干潮時には、大小の渦を見ることができる。加計呂麻島には、戦時中の三大要塞の一つである「安脚場砲台」がある。

油井岳展望台  瀬戸内町油井 ( 鹿児島県 )

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油井岳展望台  瀬戸内町油井

鹿児島県観光サイト「本物の旅かごしま」による説明は、次のとおり。 名瀬港から国道58号により南西へ瀬戸内町に向かう。古仁屋に着く地蔵トンネル出口先の左に案内板があり、山頂を目指す。油井岳展望台は、高知山展望台の分岐からさらに10分進む。

油井岳・高知山展望台

大島本島と加計呂麻島の間に横たわる大島海峡は、美しいリアス式海岸が続き、亜熱帯の瀬戸内海ともいうべき絶景の地で、奄美十景にも選ばれています。この海峡を一望に見わたせるおすすめスポットが、油井岳・高知山展望台です。加計呂麻島はもちろん、請島や与路島、晴れた日には徳之島まで見渡せることもあります。海が夕焼けに染まる時間は特に感動的です。

高知山展望台  瀬戸内町阿木名 ( 鹿児島県 )

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高知山展望台  瀬戸内町阿木名

鹿児島県観光サイト「本物の旅かごしま」による説明は、次のとおり。 名瀬港から国道58号により南西へ瀬戸内町に向かう。古仁屋に着く地蔵トンネル出口先の左に案内板があり、山頂を目指す。

油井岳・高知山展望台

大島本島と加計呂麻島の間に横たわる大島海峡は、美しいリアス式海岸が続き、亜熱帯の瀬戸内海ともいうべき絶景の地で、奄美十景にも選ばれています。この海峡を一望に見わたせるおすすめスポットが、油井岳・高知山展望台です。加計呂麻島はもちろん、請島や与路島、晴れた日には徳之島まで見渡せることもあります。海が夕焼けに染まる時間は特に感動的です。