殿様道路(下往還)の石畳 南島原市有家町堂崎
「有家町名勝・史跡探訪マップ」による説明は、次のとおり。国道251号有家町の東側となる「堂崎公民館」裏手の坂に石畳道が残る。
鹿児島から天草経由で帰り、南島原は「近世以前の土木・産業遺産」サイトの画像撮影のため立ち寄った。
⑳殿様道路(下往還)の石畳
島原城大手門を起点とする南目方面の一部。石畳が当時を偲ばせる。
殿様道路(下往還)の石畳 南島原市有家町堂崎
「有家町名勝・史跡探訪マップ」による説明は、次のとおり。国道251号有家町の東側となる「堂崎公民館」裏手の坂に石畳道が残る。
鹿児島から天草経由で帰り、南島原は「近世以前の土木・産業遺産」サイトの画像撮影のため立ち寄った。
⑳殿様道路(下往還)の石畳
島原城大手門を起点とする南目方面の一部。石畳が当時を偲ばせる。
唐人常夜灯 南島原市口之津町大泊 (口之津公園内)
「旅ログ」長崎県による説明は、次のとおり。
鹿児島から天草経由で帰り、南島原は「近世以前の土木・産業遺産」サイトの画像撮影のため立ち寄った。最後の2枚の写真は、口之津公園下の「口之津歴史民俗資料館」屋外展示物。
唐人常夜灯
長崎県南島原市口之津町大泊 (口之津公園内)
スポットの説明
口之津港頭の高台(口之津公園)にあり、高さ3.8m、2.1m四方形の石積みの灯明台で、寛永19年(1642年)に造営された琴平宮の献灯で、航行船舶の標識として利用された。明治13年口之津灯台建設後は、専ら琴平宮の献灯としていたのである。明治17年の夏の台風によって琴平宮が倒壊したため灯明台のみが残っている。
文化財 市町村指定重要文化財
池田湖 指宿市
ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。後ろ2枚の写真は、南薩パノラマライン(広域農道)ポケットパークからの眺望。
池田湖
池田湖(いけだこ)は、鹿児島県の薩摩半島南東部にある直径約3.5km、周囲約15km、ほぼ円形のカルデラ湖。九州最大の湖である。湖面の標高は66m、深さは233mで、最深部は海抜-167mとなる。湖底には直径約800m、湖底からの高さ約150mの湖底火山がある。池田湖を含む窪地地形は池田カルデラと呼ばれている。 池田湖は古くは開聞の御池または神の御池と呼ばれており龍神伝説がある[1][2]。
地質学側面
約5500年前、阿多カルデラに関連した火山活動があり、合計約5km3の軽石や火山灰を噴出した。噴出物の抜けた後に地面が落ち込むことによって池田カルデラが形成され、カルデラの底に雨水が溜まることによって池田湖が形成された。ほぼ同時期に山川湾、成川盆地、鰻池、池底、松ヶ窪などの地形も形成されており、これらの噴火口群とともに池田山川としてランクCの活火山に指定されている。
開聞岳の噴出と池田湖の陥没が連動して起きたという俗説があるが、地質学的観点では両者の活動時期に1000年以上の時間差があり、池田カルデラの大きさに見合う火山噴出物(池田湖テフラ)が周辺の地層に残されていることなどから、直接的な因果関係はないとされている[3]。
環境の変化
1929年(昭和4年)の観測では透明度26.8mと当時世界第7位であったが、その後、生活排水や工業廃水の流入などによって汚染が進み、1983年(昭和58年)には赤潮が発生するに至った。このため「池田湖ブルー化計画」が策定され水質改善の活動が進められている。
また、冬季の平均気温上昇によって、この季節に以前あった湖水の鉛直循環が1980年代後半、停止してしまった。合わせて表層水の富栄養化傾向の影響も加わり、湖の底層水の酸素濃度の低下が進み、1990年代以降は、湖底における溶存酸素濃度が0mg/lの状態が続いている。 このため、湖底では好気性生物が死滅した。 水深233mの水底は硫化水素による黒っぽい泥が堆積している。
イッシー
1961年頃より池田湖には巨大水棲生物が存在していると噂され、ネス湖の未確認生物ネッシーになぞらえて「イッシー」と呼ばれていた。1978年9月3日には指宿市池崎地区の住民約20名によりイッシーが目撃され、全国で報道されたため有名となる。湖に生息する市天然記念物のオオウナギは体長が2mに達する個体もあり、これが正体ではないかとも言われている。この他出現時期から、池田湖に放流された大型魚ハクレンの魚群の誤認ではないかという説もあるが、イッシーの正体は不明。
池田湖を舞台とした作品 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃
美しい日本の歩きたくなるみち500選
脚注[編集]
1.^ 白尾国柱 『麑藩名勝考』 1795年。
2.^ 橋口兼古、五代秀堯、橋口兼柄 『三国名勝図会』 1843年。
3.^ 指宿市役所総務課市誌編さん室編 『指宿市誌』 指宿市長肥後正典、1985年。
参考文献[編集]
指宿市役所総務課市誌編さん室編 『指宿市誌』 指宿市長肥後正典、1985年。
鹿児島県のアーチ式石橋 狩集橋 指宿市西方狩集
HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」によるデータは、次のとおり。
№845 狩集橋
指宿市西方狩集(かりあつまり)
湊川
橋長:11.4m 橋幅:4.1m 径間:9.0m 拱矢:3.0m
国道226号線から県道236号線へ1.55Km先、お店の角を右折してすぐ架かっています。
指宿報国神社のアコウ(2) 指宿市西方
HP「人里の巨木たち 全国巨樹探訪記」鹿児島県による説明は、次のとおり。
名称 指宿報国神社のアコウ(住職に確認。「信楽寺墓地」ではなかった)
名称の典拠 なし
樹種 アコウ
樹高 15m(注1)
目通り幹囲 7.5m(注1)
推定樹齢 200〜299年(注1)
所在地の地名 鹿児島県指宿市西方
天然記念物指定 なし
注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
日本一のアコウの目と鼻の先に、もう1本、こんなに素晴らしいアコウが立っている。
指宿報国神社の周縁部。墓石の滑らかな肌合いとは対照的な、荒々しい野性むき出しの力強い姿である。
日本一と比べられては、分が悪い。あまり注目してもらえないようだが、こちらからは、また別の魅力が感じられる。こちらも是非一緒にご覧になることをお薦めする。
指宿報国神社のアコウ(1) 指宿市西方
HP「人里の巨木たち 全国巨樹探訪記」鹿児島県による説明は、次のとおり。
名称 指宿報国神社のアコウ
名称の典拠 なし
樹種 アコウ
樹高 15m(注1)
目通り幹囲 11.0m(注1)
推定樹齢 300年(注2)
所在地の地名 鹿児島県指宿市西方
天然記念物指定 なし
注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注2)「全国一のアコウの木」と題された案内板による(設置者名不詳。設置年月も不詳だが、少なくとも2004年12月以前ではない)
信楽寺(しんぎょうじ)境内の一部に食い込むように指宿報国神社がある。
日本史に登場する西南戦争では、ここ指宿村からも277名が出陣。うち43名が戦没した。国家のために生命を捧げた人々の御霊を祀り、明治11年(1878)、指宿報国社としてここに鎮座。その後、日清・日露、そして太平洋戦争に殉じた人々の御霊も合祀し、昭和29年(1954)、現社号に改めた(案内板より)。
だとすれば、報国神社は設立当初から信楽寺の鎮守社ではないことになる。「信楽寺のアコウ」として紹介されることが多いが、私のサイトでは標記の名称で呼ぶことにした。
2009年7月現在、確認されているうちでは、日本一の幹囲を有するアコウである。(案内板は14.6mとしている)
揖宿神社の社叢 指宿市東方
鹿児島県教育委員会HPの「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。
揖宿神社の社叢(いぶすきじんじゃしゃそう)
【所在地】指宿市東方733番地
【種 別】県指定天然記念物
【指定年月日】平成15年4月22日
1 社叢は神社の森のことであり,揖宿神社の社叢の一部3,057㎡の区域を選定している。
2 かなり狭い神社の境内にある森に,クスノキ,エノキ,イチョウなど多くの巨樹が生育し,その樹高が20mを超えることなど,大木がまとまって群生しているのは貴重である。
3 これらの巨樹にはランの一種であるボウラン,キバナノセッコクなどの他にアコウなどの木本植物も着生している。特に,暖温帯において,アコウが締め殺し植物的な生長を示していることは注目すべきことである。
4 クシノハシダ,クワズイモ,リュウキュウスゲなどの南方系の植物も自生している。
5 まとまってクスノキ巨樹8株が生育しているのは県内において類がない。
(昭和47年指宿市指定推定樹齢約700年)
目通幹囲(m) 樹 高(m) 目通幹囲(m) 樹 高(m)
1号 6.7 約21.0 5号 9.0 約25.0
2号 5.9 約21.0 6号 6.3 約30.0
3号 8.3 約25.0 7号 9.1 約30.0
4号 8.1 約25.0 8号 6.9 約20.0
※ 樹勢はいずれも良い。
さつまいも・ザビエル上陸の地 指宿市山川町浦向
HP「山川港まち歩きガイド」による説明は、次のとおり。後ろの写真は、JR指宿駅とふれあい足湯。
さつまいも・ザビエル上陸の地
現在漁船などが停泊する浦向港は、山川を代表する港のひとつでした。ここに宝永2(1705)年、豪商・河野家の船の水夫だった前田利右衛門は、琉球から甘藷の種芋を持ち帰ってきました。後に甘藷は全国へ広がって行くことになります。またキリスト教を布教するために、天文18(1549)年に、鹿児島を訪れたザビエルもまず山川のここに上陸したといわれています。
山川薬園跡及びリュウガン 指宿市山川町新生町
鹿児島県教育委員会HP「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。山川薬園跡は、その後、明治34年から昭和44年まで、山川小学校校地となっており、碑がある。
山川薬園跡及びリュウガン
【所在地】指宿市山川町新生町 35
【種 別】県指定天然記念物・県指定史跡
【指定年月日】昭和 29 年3月 15 日
山川薬園跡は,万治2(1659)年,島津光久の時に設けられた薬園の跡で,当時島津氏は,佐多,山川,吉野の三カ所に薬園を設けて薬用植物の栽培に努めたが,このうち最も古いのがこの薬園である。当時は山川の島津薬園とよばれ,リュウガンのほかにレイシ,ハズ,キコク,カンラン等多くの植物が栽培されていたといわれる。
リュウガンは中国南部や台湾に自生するムクロジ科の樹木で,4〜5月頃に芳香のある白い花を咲かせ,7〜8月に直径1〜2 cm,褐色で球形の実をつける。果肉は汁が多くて甘く生食もするが,乾燥させて強壮薬として用いる。
この地のリュウガンは,高さ 10m,幹回り 3.5m,根回り6 m ほどで樹齢 300 年と推定される老木で,唯一薬園跡に残っているが,周辺には幼木も植えられ保護されている。
鹿児島県のソテツ自生地 指宿市山川町 竹山
鹿児島県教育委員会HP「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。写真は、指宿市山川町の竹山で撮影したソテツ自生地。
鹿児島県のソテツ自生地
【所在地】指宿市山川町,南さつま市坊津町,肝属郡南大隅町・肝付町
【種 別】国指定特別天然記念物
【指定年月日】昭和 27 年3月 29 日(国指定天然記念物 大正 12 年3月7日)
ソテツ科は世界に9属約 100 種類あり,そのほとんどが熱帯や亜熱帯地域に自生する植物である。そのうちのソテツ1種類だけが日本の南端にまで分布しており,八重山諸島,沖縄諸島,奄美群島から九州の南端までの地域に限られる。
県本土では,鹿児島湾入口の両側にあたる薩摩半島側の山川,坊津,大隅半島側の佐多,内之浦の4町に自生が認められ,自生の北限地として天然記念物に指定されている。いずれもやや乾いた原野の岩石の間に生え,特に山川町の竹山や佐多岬などでは,海岸近くの絶壁に生育している。
ソテツはイチョウとともに裸子植物(マツやスギの仲間)に属するが,雌株と雄株があり,花は単性花で花被をもたない。さらにこの両種の雄性配偶子は,被子植物や他の裸子植物と異なり精子をつくるのが特徴である。ソテツの精子は,鹿児島県立博物館に現存する株を材料にして,池野成一郎によって発見された。
本県の奄美地方では,昔からソテツの実や幹のでんぷんを採取して,あく抜きをした後,ソテツ味噌を造ったりして食用に利用してきた。