温泉鉄道跡を小浜まで訪ねる  (4) 鉄道橋と千々石(釜山)砲台跡

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温泉鉄道跡を小浜まで訪ねる  (4) 鉄道橋と千々石(釜山)砲台跡

平成20年6月3日、温泉鉄道跡を小浜まで訪ねる。温泉鉄道は愛野から唐比へ出、愛野展望台下の海岸を千々石まで行き、なお橘湾沿いに木津・富津を経由、小浜温泉入口まで走った。
軌道跡は現在国道251号線の一部や県道201号線となって、九州自然歩道のコースである。
愛野駅を除き駅跡の碑を全部写したので、写真が多くなった。その(4)は余談。

長崎本線(大草経由)を済み次は温泉鉄道跡をと、鉄道橋を調べるのが本来の目的。
川や道をまたぐことはあまりなく、煉瓦アーチはなかった。唐比手前で短い桁橋が2つ残っていた位である。
国道57号線から千々石商店街へ入ったところで、親和銀行千々石支店横に清流が流れる。道路下を覗くとアーチが見えた。石造橋かとときめいたが、コンクリート張り。
地元の識者島村酒店の主に確認したら、戦後造られたという。この川は上流に「柳原水源」、下流に洗い場のよいのがある。千々石ホテル跡もある。

千々石(釜山)砲台跡とは、温泉鉄道の千々石第一トンネルと関係する。ほとんど知る人はいないが、トンネル右横の海を向いた高台岩場に砲台が構築された。
太平洋戦争末期、米軍の九州本土侵攻を阻止するため。すでに廃線となっていたトンネルの横腹に穴を開け、砲台への出入りと大砲格納に利用した。トンネルが工廠だった話も聞く。
戦後、壁面を塞いだ。トンネル内にその跡がはっきりわかるから面白い。
橘湾沿岸の戦争遺跡の項を参照。 https://misakimichi.com/archives/9

最後の写真は今回、富津の「額栗岩」下の鉄道沿いに大きな防空壕を見かけた。頂上岩は監視所のみで、この防空壕が大砲を据えた富津砲台とも考えられる。
温泉鉄道跡は、緑のトンネルも続き景観はよく、鉄道の歴史にひたりウオーキングに向いた道である。