道の尾温泉の歴史と風景  西彼杵郡長与町

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道の尾温泉の歴史と風景  西彼杵郡長与町

浦上水源池の畔にあるラジウム温泉「道の尾温泉」は、近くは通るがよく見たことはなかった。タッちゃんのブログで最近、長崎市の日帰り温泉「道の尾温泉」が次のとおり記事に出た。

明治元(1868)年創業というから長崎市近郊としては歴史のあるほうで、居留地の外国人や入港する外国船の乗組員に人気があった天然温泉。
そのうえ九州には数少ない飲泉の湯でもある。受付のすぐ近くに飲泉用の蛇口があるので、是非とも飲んだほうがいい。ちなみにボクが知っている飲泉で有名な他の温泉は、①佐賀県の嬉野温泉、②大分県の湯平温泉。
画像は、道標になっていた石柱・外にある効能の説明板・明治時代の版画。
( http://blogs.yahoo.co.jp/turbobf1516/42265747.html 参照)

この石柱を写しに行った。温泉の建物はリニューアルされているが、旧道沿いに昔のたたずまいを残す一角があった。泉源には「明治元年華氏八十度」(摂氏で26.7度)と書かれ、水神の石祠、大正九年の「架橋紀念」碑があった。
同温泉会社のHP「道の尾温泉 長崎の温泉 歴史」を読むと、「蓬菜(?)橋」という橋。温泉のそばに架けたとしかわからない。明治時代の版画にはもちろん表われないし、長崎大学の古写真もない。
碑の下に溝があり、石材だったようなものは転がっている。脇は山手からの小川が流れ、多分このあたりだろう。

近くには4,5軒の旅館とホテルもあったそうだ。旧家がそのまま1軒残り、花壇の公園らしき場所も旅館跡だった。
同HPによると、創業者古田吉平は事業経営のみならず地域発展にも貢献し、諫早ー長崎間の鉄道建設時のルート案を検討する際にも奮闘し、温泉から500mの位置に「道の尾駅」を設置。現在のJR長与線のルートとなっている。
古田氏は道の尾駅から温泉に至る農道を車の通る道路にするため、個人出資で自らも工事監督として整備を進めたため、古田氏自らを「道の王」と自称するようになり、俗に地名「道の尾」の由来は、ここからきているとも言い伝えられている人物である。