本河内浄水場正門左脇にある「秋葉山大権現道」の標石
本河内低部水源池の底に消えた長崎街道は、高部水源池との間に上り、これから右岸の旧道を行く。この本河内浄水場正門左脇に、朱塗りの刻字が残る立派な「秋葉山大権現道」「妙相寺」「右」「左上宮迄八丁」の標石がある。
「秋」の字は何故か偏と旁が逆である。裏面は「従寛光孫山城国久世郡槇嶋之住 太田野右衛門尉行三男 太田益右衛門直徳 建立」。30cm角、高さ1m。上部は四角錘でどっしりしている。
今は「妙相寺入口」バス停から入る。「長崎街道」越中先生の稿は、この辺りを「明治十九年、我が国で三番目に建設された水道の水源池が建設されたとき、水源池新道が造られ、古道は失われてしまったが、先年その水源池の中より分かれ、奥山峠を越え、旧矢上村中尾に行く途中の妙相寺川に、幕末のころ架けられたアーチ型の小さな石橋が発見され、市の文化財に指定され保存されている」と書かれている。
秋葉大権現とは、妙相寺から烽火山に登る道の途中となる。妙相寺は、長崎市立博物館刊「長崎の史跡」によると次のとおり。今の石門は、この標石の所にあったらしい。
「175 妙 相 寺(曹洞宗・瑠璃光山 所在地:本河内町2439番地)
妙相寺は、延宝7年(1679)皓台寺5代住職逆流が開創。寛永19年(1642)開創の今籠町の宗円寺が衰微したもので、逆流がこれを再興、宝永4年(1707)現在地に移転した。文化6年(1809)以降、異変の際の中国人の避難所とされた。後山は秋葉大権現祠、柊大明神祠、天満天神祠などが祀られている。なお、境内の石門はかつては長崎街道沿にあったが、水源池が建設されるに及び現在地に移された」