滑石4丁目にある式見手熊道「右志きみ 左てぐま」の標石

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滑石4丁目にある式見手熊道「右志きみ 左てぐま」の標石

長崎市立滑石公民館に行くと、1988年地元編纂委員会編「写真構成 長崎滑石郷土史誌」があり、139頁に珍しい標石の写真があった。
「右志きみ 左てぐま」と読み取れる石である。

「この地蔵の近くの4丁目多以良初見宅に保存されている式見手熊道標石は、元もと4丁目山の口の小川の道路改修記念碑そばにあったもので、左へ上る旧道が手熊への山道であった。石柱は自然石で幕末ころのもの」と、写真説明がある。
地蔵とは「現在の4丁目もと木下川内にあった下山堤の守り神として堤のそば式見追分の入り口にあった」が、団地造成で堤は埋没され、地蔵も流転している。

滑石4丁目多以良初見宅は、以前通っていた「あぐりの丘」へ行く道の途中である。道路改修記念碑近くのお宅を、一度訪ねてぜひ標石を見たいと、平成18年2月19日川上君と出津・黒崎調査の行きがけ寄ってみた。

多以良氏は団地連絡協議会長や郷土史誌編纂委員長をされていた。今は高齢となられ娘さんが住まわれている旧家の庭の大きなヤマモモの木の根元に、健在であったが横倒しにされて標石はあった。
岩屋山の西肩を越して、古道はまだ残る。