外国人居留地跡のある境界標石の受難
郷土史家故永島正一氏が昭和34年10月「長崎手帖 第21号」で紹介した長崎市広馬場町の十善会病院前、森米屋の店先にある外国人居留地跡の当時の境界標石である。
撮影してから約47年を過ぎた今、現地に行ってみると、上の写真と記事のとおり変っていた。碑のわびしい姿がまたひとしおであった。
外国人居留地跡のある境界標石の受難
郷土史家故永島正一氏が昭和34年10月「長崎手帖 第21号」で紹介した長崎市広馬場町の十善会病院前、森米屋の店先にある外国人居留地跡の当時の境界標石である。
撮影してから約47年を過ぎた今、現地に行ってみると、上の写真と記事のとおり変っていた。碑のわびしい姿がまたひとしおであった。