鳴滝塾跡・出島和蘭商館跡の史跡境界標石
鳴滝2丁目川端通りの蜀山人歌碑を見に行った帰り、裏通りに入り、シーボルト記念館の赤い建物の角にかかった。古い石段の坂道が上へ上がり、上段に石柱の姿が見えた。何だろうと登ったら、この石柱であった。
「史蹟指定地」「大正十二年九月一日」「内務省」
奥に立派な門構えの旧家があり、玄関先にも標石があった。合計で5本ほどあった。また帰りによく探すと、記念館正門入口と敷地左隅にもあった。
関連するのは、出島和蘭商館跡。南公民館どじょう会「長崎の碑 第一集」平成5年の1頁に「2出島和蘭商館趾界標(出島町 海江田病院前)」として、同じような標石の存在を記録している。しかし、今これを探しに行っても見当たらない。資料館の人の話では、電車通り側青いビルの横が駐車場となっているが、この境の石垣段差の中ほどにあった記憶があるらしい。同第2集平成6年「石標調査表」では、同じ界標が「出島神学校前角」にもあったとしている。
念のため出島復元室学芸員の方に所在を聞いている。居留地の「地番標」は6本あって、2本は出島内現地に説明板をつけて展示しているとの話であるが、地番標の全体の数も、当時のどじょう会調査数より少ないと思われる。