諌早市に残るアーチ石橋
諌早市に残るアーチ石橋は、5橋である。このうち多良見町幸仏橋はすでに紹介済(下記参照)。少ないのは度重なる大水害のためと思われる。
昭和32年(1957)7月25日の「諫早大水害」は記憶に新しい。本明川に架かっていたさしもに堅固な諫早眼鏡橋は、諫早公園内の池に移築された。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。
写真 1 第 2 番 諫早眼鏡橋 諫早市 諫早公園内
天保十年(1839年)8月12日竣工 国指定重要文化財(石橋第一号)
日本百名橋 長さ49.2m 幅員5.5m
諫早の旧市街の中央に諫早公園があり、この中の池に「眼鏡橋」が架かっている。
長崎の眼鏡橋は中島川に架かっているが、諫早の眼鏡橋はこの公園内に移築されている。実際に目で見てみると長崎の石橋に比べて一回り大きくまた、堅固であることが実感できる。
この堅固さ故に諫早大水害の折に流木等がこの橋で留まり堰となって、大きな市街地の水害を引き起こすことになってしまったために、現在地に移転したのは皮肉と言える。
写真 2 第 10 番 諫早市役所の小ヶ倉橋 諫早市役所の東側の掘割に架かる。
大正12(1923)年 昭和62年現在地へ移築 長さ4.2m 幅員3.7m
現在の諫早市役所の敷地は藩政時代から続き、維新後は郡役場や学校の敷地になったりした歴史のある場所。その東側、裏小路側に架かるこの橋は、小ぶりだが端正で落着きを感じる。昔から此処に架かっていた様な雰囲気だが、元々は小ヶ倉川に架かっていた。
石碑の記載に寄れば架橋の請負人は、徳永勘三、陣野久太郎、村川清一、東八重助、横田鹿之助、村川徳太郎、前田善一と思われる。また当初の架橋時には欄干は無かった。
次の写真は、小ヶ倉橋が架かっていた場所だ。この河川改修の時に現在の場所に移築されました。
写真 3 第 46 番 小 川 橋 諌早市小川町
明治43(1910)年 長さ3.5m 幅員1.8m
小ヶ倉川に架かる。小川の団地前の田の中になる。
現在は農業関係の人しか通らないが、もとは諌早の中心街と有喜を結ぶ幹線道路に架かっていた橋。
写真 4 第 63 番 大渕橋(倉渕橋) 諌早市小川町(小ヶ倉ダム堤防下)
大正15(1926)年 長さ 約7.0m 幅員 約4.0m
既に廃道になっており、石橋自体もコンクリートで覆われてしまっている。
最初は無くなってしまったのかと思っていたら、コンクリートで覆われていました。補修の様子から見るとアーチ石自体に変形があったようにも思えます。
なお、多良見町幸仏橋は次を参照。https://misakimichi.com/archives/291