ツル掛石鍋製作所・跡  西海市平山郷ツル掛 ( 長崎県 )

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ツル掛石鍋製作所・跡  西海市平山郷ツル掛

サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストのデータは、次のとおり。

ツル掛第二石鍋製作所・跡 つるかけ
西海市 平山郷ツル掛 石鍋製作場 平安末期〜鎌倉初期 東 貴之 高20-30m、幅5-10m、奥行100m以上の規模をもつクレバス状の遺跡 滑石を刳り器状に仕上げた石鍋の製作所/西彼杵半島の山中には滑石層の露頭が多く石鍋製作遺跡が散見される→最大規模の石鍋製作遺跡 2 A

国指定史跡ホゲット石鍋製作遺跡などと同じく、「西彼杵半島の山中では、…最大規模の石鍋製作遺跡 2 A」とあり、昨年から現地へ出かけ調査を進めているが、長崎県教育庁学芸文化課・西海市教育委員会などに尋ねても、正確な場所がわからず実態を把握していない。
長崎県教育庁学芸文化課サイト「長崎県遺跡情報システム」による詳細と所在地図(別図)は、次のとおり。

■ ツル掛第1遺跡
遺跡名称 : ツル掛第1遺跡(つるかけだいいちいせき)
市町村名 : 西海市
種別 : その他の生産遺跡(石鍋製作跡)  時代 : 古代/中世  立地 : 山地

■ ツル掛第2遺跡
遺跡名称 : ツル掛第2遺跡(つるかけだいにいせき)
市町村名 : 西海市
種別 : その他の生産遺跡(石鍋製作跡)  時代 : 中世  立地 : 山地

さて、東 貴之氏(長崎石鍋記録会長)の記録である。遺産サイトの 「高20-30m、幅5-10m、奥行100m以上の規模をもつクレバス状の遺跡 滑石を刳り器状に仕上げた石鍋の製作所」とは、同会の石鍋橋「この橋は?(ホームページ版)」後段に表れる。
http://www2.tvs12.jp/~m-hide/screen/008_konohashi.pdf#search=’%E7%9F%B3%E9%8D%8B%E6%A9%8B’ 【引用・参考文献】とした、石橋忠治氏 2007「八人ヶ岳における石鍋製作所跡」『西海考古』第7号 西海考古同人会 など確認しても、肝心な「ツル掛第2遺跡」のことはまったく紹介されていない。

クレパス状遺跡がある「ツル掛第1遺跡」は、八人ヶ岳山頂近くの駐車場へ行く車道途中の「鯖くされ岩」少し先から、右手のロープを張った右の農道へ入る。奥に梅林の廃ビニールハウスがあり、この端から左手の雑木林内高台へ登る。石鍋未成品のほとんどが剥ぎ取られたか、昔、集落にローセキ工場があったとかの話で、滑らかなクレパス状壁面が広く残っていた。現地遺跡の状況は、私が2014年12月に2回出かけて撮影した写真のとおり。記録数値はここではややオーバーなようにも感じる。
写真18枚目以降が「ツル掛第2遺跡」。集落の人家上で大カーブの車道や墓地となり荒れている。残っている岩面からはクレパス状とは考えられない。近くの人家の庭石にされた石鍋がある。

「ツル掛第2遺跡」か「ツル掛第1遺跡」か、単純な表記間違いと思われるが、東氏は転出されたようで連絡が取れない。長崎石鍋記録会関係者は、個人の論文だからと調査に前向きでないため、これ以上の確認がむつかしい。
長崎県遺産リストの未画像案件は、私が保留していたのでこれ1つのみ残った。一番良いのはこのブログ記事を参考に、長崎石鍋記録会が正確な現地再調査を行い、撮影画像を遺産サイトに提供し、ホームページ版を修正してもらうことだろう。遺跡場所間違いが私にあるかも知れない。

サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストのデータは、次のとおり修正し更新された。

ツル掛石鍋製作所・跡 つるかけ
西海市 平山郷ツル掛 石鍋製作場 平安末期〜鎌倉初期 WEB(みさき道人) 奥行数10mのクレバス状の遺跡 滑石を刳り器状に仕上げた石鍋の製作所/西彼杵半島の山中には滑石層の露頭が多く石鍋製作遺跡が散見される→本遺構は中規模/第一・第二の2ヶ所があるとの報告もあるが、現在確認できるのは1ヶ所 2 B