長崎の幕末・明治期古写真考 明治の長崎撮影紀行 16P 神の島海岸からの高鉾島 ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
「明治の長崎 撮影紀行」 長崎文献社 2014年12月刊
16P 神の島海岸からの高鉾島 (目録番号:3874)
…島の左手に遠くみえている山は唐八景だろう。多くの写真家が登った大平山(星取山)のすぐ近くで、長崎の街を見下ろすいい展望台である。
17P 小瀬戸からの高鉾島 (目録番号:5241)
当時の神の島は、陸つづきでなく、ほんとうに島だった。この写真(5241)はその対岸になる小瀬戸の大悲寺の高台あたりから高鉾島を眺めている。高鉾島の右手後方へみえているのは香焼だろう。…
87P 茂木の町並み 掲載略 (目録番号:1000)
…当時の海岸線が今は国道34号線になっている。のどかな茂木の街の全景をこの寺の背後の丘から見通すことができたのである。
■ 確認結果
森 望氏(前長崎大学附属図書館長)著「明治の長崎 撮影紀行」が、長崎文献社から2014年12月発行されている。脳神経解剖学者の著者が科学的手法で古写真の謎を解く。近来にない本格研究の古写真集であるが、内容において私が直観的に疑問とした作品を取り上げる。
第2版をだすような状況になれば、そのときに改訂しますとのことである。
16P 神の島海岸からの高鉾島 (目録番号:3874)
「島の左手に遠くみえている山は「唐八景」だろう」は、具体的にどの山を指すかわからないが、中央左奥の三角形の高い山は、これこそ「大平山(星取山)」である。
現在の星取山山頂には、NTT長崎無線中継所がある。大きなアンテナ塔数本が建つので確認できる。
1昨日、写真3のとおり星取山の拡大写真を写してきたので、確認のため載せる。「唐八景」はその後ろの低い山で、写真には写らない。星取山右端に少しは低い稜線として写るくらいだろう。
この作品は、本ブログ次を参照。 目録番号:3809 高鉾島(16) ほか
https://misakimichi.com/archives/1687
17P 小瀬戸からの高鉾島 (目録番号:5241)
「神の島は、陸つづきでなく、ほんとうに島だった。この写真(5241)はその対岸になる小瀬戸の大悲寺の高台あたりから高鉾島を眺めている。」
撮影地は、「小瀬戸の大悲寺の高台あたりから」てはなく、視点が低くこのように高鉾島や神ノ島が見えるのは、「神崎鼻の台場」からであろう。
この作品は、本ブログ次を参照。 目録番号:3812 高鉾島(19) ほか
https://misakimichi.com/archives/1552
87P 茂木の町並み (目録番号:1000)
「当時の海岸線が今は国道34号線になっている。」は、何度も言うが「県道34号」が正しい。
この作品は、本ブログ次を参照。 目録番号: 343 茂木(2) ほか
https://misakimichi.com/archives/1513
https://misakimichi.com/archives/2147
92〜97P 小浜・雲仙7点
撮影地の現在の写真がある。まず間違いないと思うが、少し、しっくりしないところもある。私もそのうち現地へ出かけて確認したい。